トマス・ウィリアム・エインズワース
トマス・ウィリアム・エインズワース(Thomas William Ainsworth, 1922年3月20日[1] - 2006年4月1日[2])は、アメリカ合衆国の外交官。第二次世界大戦中はアメリカ海軍に所属[2]。戦後は国務省で外交官を務め、日本(福岡、神戸、大阪、東京)、南ベトナム(サイゴン)およびイギリス領香港に駐在[2]。
生涯
[編集]1922年3月20日、ウィスコンシン州ベロイトにて誕生[3][1]。 1941年にイェール大学で英語学の学士号を取得[1][3]。大学教授を目指して同大の大学院へ進学するも[1]、学業は第二次世界大戦により中断[3]。1942年11月にアメリカ海軍予備役に入隊し[1]、アメリカ海軍士官となった。戦争中、彼は日本語を学んだが、これがその後の彼の人生に影響を与えた[1]。終戦まで太平洋戦線で任務に従事[1][3]。戦地にて勤務し、フレモント、サンズ (駆逐艦)、デンバー (軽巡洋艦)、インディアナポリス (重巡洋艦)に乗艦[1]。その後、進駐軍として福岡に駐留[1]。
戦後、エインズワースは国務省外交局に入省[3]。陸軍言語学校にて広東語を学んだ後、極東地域で領事館および大使館業務に従事[3]。福岡、神戸、東京、台北、サイゴン、香港、そして大阪に駐在[1][3]。大阪では総領事(1976年-1979年)を務めた[1][3]。その後はワシントンD.C.の国務省本省にて、各部署に勤務[1]。1963年7月から1964年8月まで極東局東アジア部日本課長[4]。
2006年4月1日、家族に囲まれながら穏やかに死去した[3]。
家族
[編集]父親はオリヴァー・M・エインズワース (Oliver M. Ainsworth)、母親は アニー・ブルース・エインズワース (Annie Bruce Ainsworth) であった。
妻はウィルマ・エインズワース (Wilma Ainsworth)[3]。2人は東京駐在中の同僚であった[1]。2人は1950年12月9日に結婚し、東京の陸軍教会で挙式した[1]。エインズワースは妻ウィルマとの間に、次の子供をもうけた[3]。
- ブルース・H・エインズワース (Bruce H. Ainsworth)
- トマス・W・エインズワース・ジュニア (Thomas W. Ainsworth Jr.)
- ダニエル・E・エインズワース (Daniel E. Ainsworth)
- ジェーン・エインズワース・サブリン (Jean Ainsworth Sablin)
- アン・エインズワース・カークランド (Anne Ainsworth Kirkland)
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n The US Navy Japanese/Oriental Language School Archival Project. 131. University of Colorado. (2009-01-01). p. 4 2012年8月18日閲覧。.
- ^ a b c (PDF) State Magazine. U.S. Department of State. (2006-10). p. 43
- ^ a b c d e f g h i j k Foreign Service Journal (American Foreign Service Association): 52. (2006-07).
- ^ 秦郁彥 (2001). 世界諸国の制度・組織・人事, 1840-2000. 東京大学出版会. p. 615
公職 | ||
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先代 ロバート・アップルトン・フィアリー |
アメリカ合衆国国務省極東局東アジア部日本課長 1963年7月 - 1964年8月 |
次代 リチャード・ウィルソン・ペトリー |