トマス・リトルトン (第4代準男爵)
トマス・リトルトン Thomas Lyttelton | |
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生年月日 | 1686年 |
没年月日 | 1751年9月14日 |
所属政党 |
(ホイッグ党→) 無所属 |
配偶者 | クリスチャン・テンプル |
子女 | 長男・ジョージ・リトルトン |
親族 | 孫・トマス・リトルトン(庶民院議員) |
選挙区 |
(ウスターシャー選挙区→) キャメルフォード選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1721年 - 1741年 |
第4代準男爵サー・トマス・リトルトン(英語: Sir Thomas Lyttelton, 4th Baronet、1686年 – 1751年9月14日)は、グレートブリテン王国の政治家。1721年から1741年まで庶民院議員を、1727年から1741年まで下級海軍卿を務めた[1]。
生涯
[編集]第3代準男爵サー・チャールズ・リトルトンと2に目の妻アン・テンプル(Anne Temple、1718年8月22日没、トマス・テンプルの娘)の息子として[2]、1686年に生まれた[1]。1716年5月2日に父が死去すると、準男爵位を継承した[2]。
1721年3月、ウスターシャー選挙区の補欠選挙でウスターシャーのホイッグ党員の支持を受けて、無投票で当選した[1][3]。議会では常に与党側で投票し、1727年に下級海軍卿(Lord of Admiralty)に任命された[1]。1733年の消費税法案をめぐり、与党側として賛成票を投じたが[1]、ウスターシャーでの後援者だった第5代コヴェントリー伯爵ウィリアム・コヴェントリーが野党派ホイッグ党に転じたため、1734年イギリス総選挙ではコヴェントリー伯爵がリトルトンへの支援に不熱心であり、リトルトンがウスターシャーで敗れる原因となった[3]。リトルトンは娘婿トマス・ピットの後援によりキャメルフォード選挙区で当選し、議席を失わずに済んだ[1][4]。1741年イギリス総選挙ではウスターシャー選挙区で息子ジョージを支持し[3]、これを機に1,000ポンドの年金を受け取って庶民院議員と下級海軍卿から引退した[1]。ただし、息子ジョージはウスターシャー選挙区では敗れており[3]、オークハンプトン選挙区の代表として議員を務めた[5]。
1751年9月14日に死去、ハッグリーで埋葬された[2]。息子ジョージが準男爵位を継承した[2]。
家族
[編集]1708年5月8日、クリスチャン・テンプル(Christian Temple、第3代準男爵サー・リチャード・テンプルの娘)と結婚[2]、6男6女をもうけた[1]。
- ジョージ(1709年 – 1773年) - 第5代準男爵、初代リトルトン男爵(第1期)[5]
- クリスチャン(Christian、1750年6月5日没) - 1731年頃、トマス・ピット(1761年没、ロバート・ピットの息子)と結婚[6]
- チャールズ(1714年 – 1768年) - 聖職者[7]
- アン(1714年 – 1776年) - 1745年1月21日、フランシス・エイスコーと結婚、子供あり[8]
- リチャード(1718年 – 1770年) - 軍人、庶民院議員[9]
- ウィリアム・ヘンリー(1724年 – 1808年) - 第7代準男爵、初代ウェストコート男爵、初代リトルトン男爵(第2期)[10]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Sedgwick, Romney R. (1970). "LYTTELTON, Sir Thomas, 4th Bt. (1686-1751), of Hagley Hall, Worcs.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年11月15日閲覧。
- ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1900). The Complete Baronetage (1611–1625) (英語). Vol. 1. Exeter: William Pollard & Co. p. 118.
- ^ a b c d Lea, R. S. (1970). "Worcestershire". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年11月15日閲覧。
- ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Camelford". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年11月15日閲覧。
- ^ a b Barker, George Fisher Russell (1893). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 34. London: Smith, Elder & Co. pp. 369–374. . In
- ^ Owen, J. B.; Cruickshanks, Eveline (1970). "PITT, Thomas (c.1705-61), of Boconnoc, Cornw.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年11月15日閲覧。
- ^ Courtney, William Prideaux (1893). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 34. London: Smith, Elder & Co. pp. 368–369. . In
- ^ Parker, M. St John (23 September 2004). "Ayscough, Francis". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/951。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "LYTTELTON, Richard (1718-70), of Little Ealing, Mdx.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年11月15日閲覧。
- ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "LYTTELTON, William Henry (1724-1808).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年11月15日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 サー・ジョン・パキントン準男爵 トマス・ヴァーノン |
庶民院議員(ウスターシャー選挙区選出) 1721年 – 1734年 同職:サー・ジョン・パキントン準男爵 1721年 – 1727年 サー・ハーバート・パキントン準男爵 1727年 – 1734年 |
次代 サー・ハーバート・パキントン準男爵 エドマンド・リーチミア |
先代 トマス・ヘイルズ ジョン・ピット |
庶民院議員(キャメルフォード選挙区選出) 1734年 – 1741年 同職:ジェームズ・チャムリー |
次代 インチクィン伯爵 チャールズ・モンタギュー |
イングランドの準男爵 | ||
先代 チャールズ・リトルトン |
(フランクリーの)準男爵 1716年 – 1751年 |
次代 ジョージ・リトルトン |