トマス・ヒル (第2代ベリック男爵)
第2代ベリック男爵トマス・ノエル・ヒル(英語: Thomas Noel Hill, 2nd Baron Berwick FSA、1770年10月21日 – 1832年11月3日)は、グレートブリテン貴族。
生涯
[編集]初代ベリック男爵ノエル・ヒルと妻アンナ(Anna、旧姓ヴァーノン(Vernon)、1797年3月23日没、ヘンリー・ヴァーノンの娘)の長男として、1770年10月21日に生まれ、シュロップシャーのアッチャムで洗礼を受けた[1]。1789年3月26日にケンブリッジ大学ジーザス・カレッジに入学、1791年にM.A.の学位を修得した[2]。
1789年1月6日に父が死去すると、ベリック男爵位を継承したが、貴族院への初登院はその5年後の1794年6月13日だった[1]。議会ではトーリー党に属した[1]。
1796年イギリス総選挙で弟ウィリアムをシュルーズベリー選挙区で出馬させたため、同族の第2代準男爵サー・リチャード・ヒル、ジョン・ヒル(のちの第3代準男爵)父子と敵対した[3]。選挙戦はヒル家の内紛によりパンフレット合戦に化し、最終的にはベリック男爵家の勝利に終わったが、後にベリック男爵家とヒル準男爵家が和解して、1805年に現職議員の第5代準男爵サー・ウィリアム・パルトニーが死去したときはジョン・ヒルが無投票で当選した[3]。
1801年6月4日、ロンドン考古協会フェローに選出された[1]。
1812年2月8日、ソフィア・デュボチェット(1794年ごろ – 1875年8月29日、ジョン・ジェームズ・デュボチェットの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1][4]。
1832年11月3日にナポリで死去、同地で埋葬された[1]。弟ウィリアムが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 168.
- ^ "Hill, Thomas Noel (Lord Berwick). (HL789TN)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b Thorne, R. G. (1986). "Shrewsbury". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月28日閲覧。
- ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 243.
関連図書
[編集]- "Country Homes, Gardens Old & New: Attingham–II. Shropshire, The Seat of Lord Berwick". Country Life (英語). Vol. 49. London. 12 February 1921. pp. 186–193.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Thomas Hill
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