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トマス・ニュージェント (第6代ウェストミーズ伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第6代ウェストミーズ伯爵トマス・ニュージェント英語: Thomas Nugent, 6th Earl of Westmeath KP PC (Ire)1714年4月18日洗礼[1]1792年9月7日)は、アイルランド王国の貴族、政治家。1752年から1754年までデルヴィン卿儀礼称号を使用した[2]フリーメイソンの一員としてアイルランド・グランドロッジ英語版のグランドマスターを務めた。

生涯

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第5代ウェストミーズ伯爵ジョン・ニュージェントとマルゲリーテ・モルツァ(Marguerite Molza、1776年1月18日没、カルロ・モルツァ伯爵の娘)の息子として生まれ、1714年4月18日に洗礼を受けた[1]

青年期にフランス陸軍に従軍した[2]

1754年7月3日に父が死去すると、ウェストミーズ伯爵位を継承、さらにアイルランド国教会を遵奉して、1755年10月7日にアイルランド貴族院議員に就任した[2]。1765年から1788年までウェストミーズ首席治安判事英語版を務めた[1]

1763年から1767年までフリーメイソンの一員としてアイルランド・グランドロッジ英語版のグランドマスターを務めた[1]

1774年11月22日、アイルランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命された[3]

1783年2月までウェストミーズ県総督を務めた[4]

1783年2月5日に聖パトリック騎士団が創設されると[2]、同年3月11日に定員15名のうちの1人に選出された[5]。1787年、800ポンドの年金を与えられた[2]

1792年9月7日にダブリンで死去、息子ジョージ・フレデリック英語版が爵位を継承した[2]

家族

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1741年頃、メアリー・ステイプルトン(Mary Stapleton、1750年没、ウォルター・デュランド・ステイプルトンの娘)と結婚、1男をもうけた[1]

1756年8月7日、キャサリン・ホワイト(Catherine White、1772年8月7日没、ヘンリー・ホワイトの娘)と再婚、2男1女をもうけた[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f "Westmeath, Earl of (I, 1621)". Cracroft's Peerage (英語). 15 May 2010. 2020年10月21日閲覧
  2. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). Vol. 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 107.
  3. ^ "No. 11511". The London Gazette (英語). 19 November 1774. p. 1.
  4. ^ "No. 12421". The London Gazette (英語). 8 March 1783. p. 1.
  5. ^ "No. 12424". The London Gazette (英語). 18 March 1783. p. 2.
フリーメイソン
先代
サー・エドワード・キング準男爵
アイルランド・グランドロッジ
グランドマスター
英語版

1763年 – 1767年
次代
キャバン伯爵
アイルランドの爵位
先代
ジョン・ニュージェント
ウェストミーズ伯爵
1754年 – 1792年
次代
ジョージ・フレデリック・ニュージェント英語版