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トマス・カリュー (1718-1793)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

トマス・カリュー英語: Thomas Carew1718年8月11日1793年6月5日)は、アイルランド王国の政治家。1761年から1768年までアイルランド庶民院議員を務めた[1]

生涯

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ロバート・カリュー(1681年 – 1721年9月、ロバート・カリューの息子)と妻エリザベス(Elizabeth、旧姓シャップランド(Shapland)、1765年ごろ没、ジョン・シャップランドの娘)の三男として、1718年8月11日にコークで生まれた[1][2][3][4]。1749年10月17日、ダブリン大学トリニティ・カレッジに入学した[4]

1742年、ウォーターフォード県長官英語版を務めた[5]

1761年から1768年までダンガーヴァン選挙区英語版の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[1]

1793年6月5日に死去[1]、長男ロバート・トマスが遺産を継承した[5]

家族

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イライザ・リッカーダ・メイ(Eliza Rickarda May、ジェームズ・メイの娘)と結婚して、3男2女をもうけた[5]

  • ロバート・トマス(1747年5月22日 – 1834年4月11日) - アイルランド庶民院議員。1771年7月4日、フランシス・ボイス(Frances Boyse、トマス・ボイスの娘)と結婚、子供あり[5]
  • ジョン・マットロー(John Mutlow) - ジョーンズ氏(Jones)と結婚[5]
  • ポンソンビー(Ponsonby) - ジャイルズ氏(Giles)と結婚[5]
  • エリザベス - リチャード・チャートレス(Richard Chartres)と結婚[5]
  • レティシア - ジョン・ケネディ(John Kennedy)と結婚[5]

出典

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  1. ^ a b c d "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2021年12月22日閲覧
  2. ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 393.
  3. ^ Longfield, Ada Kathleen, ed. (1946). The Shapland Carew Papers (英語). Dublin: Stationery Office. p. 210.
  4. ^ a b Burtchaell, George Dames; Sadleir, Thomas Ulick, eds. (1935). Alumni Dublinenses: A Register of the Students, Graduates, Professors and Provosts of Trinity College in the University of Dublin (1593-1860) (英語). A. Thom & Company. p. 132.
  5. ^ a b c d e f g h Burke, Sir Bernard; Fox-Davies, Arthur Charles, eds. (1912). A Genealogical and Hearldic History of the Landed Gentry of Ireland (英語). London: Harrison & Sons. p. 97.
アイルランド議会
先代
ロバート・ボイル=ウォルシンガム閣下英語版
ボイル子爵
庶民院議員(ダンガーヴァン選挙区英語版選出)
1761年 – 1768年
同職:ロバート・ボイル=ウォルシンガム閣下英語版
次代
サー・ウィリアム・オズボーン準男爵英語版
ロバート・トマス・カリュー