トゥラ・アウン・コー
アウン・コー အောင်ကို | |
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生年月日 | 1948年1月4日(76歳) [1] |
出生地 | ビルマ連邦、マンダレー、チャウパダウン郡区 |
前職 | 軍人 |
現職 | 政治家 |
所属政党 |
連邦団結発展党 無所属 |
称号 | 准将 |
配偶者 | ミン・ミン・イー |
子女 |
ニン・ザベ・アウン パレ・アウン タンッ・ジン |
親族 |
バー・ザン(父) ティン・シュエ(母) |
ミャンマー連邦共和国宗教・文化大臣 | |
在任期間 | 2016年3月30日 - 2023年1月31日 |
大統領 |
ティンチョー ミンスエ ウィンミン |
トゥラ・アウン・コー(ビルマ語: သူရအောင်ကို, 1948年1月4日 - )は、ミャンマーの政治家、元軍人。
同国宗教・文化大臣を務めた。
経歴
[編集]ビルマ連邦、マンダレー、チャウパダウン郡区にてバー・ザンとティン・シュエの息子として誕生する。1967年から1997年までミャンマー陸軍に所属しており、階級は准将であった。
1997年から連邦団結発展党の中央執行委員会委員を務め、2003年には欧州連合の制裁リストに含まれていた宗教問題担当副大臣として注目され、2007年にはオーストラリアの制裁リストに含まれていた。
2010年ミャンマー総選挙で人民代表院議員に当選し、野党の国民民主連盟が選挙をボイコットする中、軍部と結びついた連邦団結発展党が議席の80%を獲得した。アウン・コーは、チン州カンペッレッ郡区の国会議員に選出された。2015年ミャンマー総選挙ではチン州のカンペッレッ郡区で争ったが、9議席中7議席を獲得した国民民主連盟に議席を奪われた。タン・シュエの下で、宗教問題担当副大臣、USDP中央執行委員会委員を務めた。2012年には党の3人の秘書の1人に選出された。
アウン・コーは下院議長トゥラ・シュエ・マンの重要な盟友であり、トゥラ・シュエ・マンとアウン・コーは選挙前の2015年8月に党指導部から解任された。
2015年の選挙後、連邦団結発展党を辞職し、勝利した国民民主連盟の指導者であるアウンサンスーチーに「近い」と言われていた。アウン・コーは宗教省と文化省を統合した宗教・文化大臣に昇格し、国民民主連盟のティンチョー内閣で2人しかいない連邦団結発展党の大臣の1人となった[2]。
軍事政権移行後の2021年3月5日、アウン・コーは汚職の罪で起訴された。賄賂と引き換えに、宗教的な称号を個人に与えたというものだった。反汚職法違反で最高15年の禁固刑を言い渡される可能性があるとして、反汚職委員会がアウン・コーに対して訴訟を起こし、2023年1月にアウン・コーは恩赦により釈放された[3]。
脚注
[編集]- ^ hermes. “Aung San Suu Kyi may take up multiple roles in new Myanmar government”. The Straits Times. 2016年3月22日閲覧。
- ^ Times, The Myanmar (22 March 2016). “Daw Aung San Suu Kyi to join government as NLD reveals cabinet”. www.mmtimes.com. 2016年3月22日閲覧。
- ^ “Former minister, writer among Myanmar prisoners freed in amnesty” (英語). Reuters. (2023年1月5日) 2023年1月15日閲覧。