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トゥイ (掃海艇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

トゥイ (HMNZS Tui) はニュージーランド海軍掃海艇バード級

リースのHenry Robb社で建造[1]。1941年8月26日進水[2]。同年11月26日就役[2]

「トゥイ」とトローラー「サンダ」、「Inchkeith」、「Killegray」、「Scarba」は1942年3月15日にグリーノックより出航し[3]、翌日からONS76船団をセントジョンズ付近まで護衛した[4]。それからバミューダキングストンパナマ運河を経て5月26日にカリフォルニア州サンペドロに到着[4]。そこからアメリカ海軍のタンカー10隻を真珠湾まで護衛した[5]。「Killegray」を真珠湾に残して他はパルミラ島へ向かい、そこからアメリカ輸送船「Majaba」をファニング島を経てスバまで護衛[6]。その後オークランドへ向かったが、その途中で「サンダ」と「Scarba」は燃料不足に陥り、「トゥイ」と「Inchkeith」が曳航した[5]。オークランドには8月4日に到着した[5]

「トゥイ」は9月から12月までスバに配備された[1]

12月12日に「トゥイ」と掃海艇「Matai」、「キーウィ」、「モア」はエスピリトゥサントから出航し、15日にツラギに到着[7]。以後、ソロモン諸島で活動する[7]

1943年1月31日、「トゥイ」と「モア」はエスペランス岬沖で日本の上陸用舟艇4隻と交戦して2隻を沈めた[8]

7月、「トゥイ」はオークランドで機雷を搭載してヌメアへ向かったオーストラリア機雷敷設艦「バンガリー」を護衛した[9]

8月19日、「トゥイ」はアメリカ海軍の補給艦「Taganak」とリバティ船「Wiley Post」を護衛してヌメアからエスピリトゥサントへ向け出航[10]。同日、アメリカ機と共に日本の潜水艦「伊19」を撃沈し、生存者6名を救助した[11]

1945年7月、「トゥイ」はコルベット「アラビス」とともにヌメアからオークランドまでFairmile B motor launchを護送した[12]

1946年6月、「トゥイ」は予備役となった[13]。1955年9月から1956年3月にかけて調査船に改装され、1967年12月まで各地への科学的な航海に従事[1]。その後はデボンポート海軍基地のそばで港長の事務所として使用され、1969年に売却されて翌年解体された[1]

脚注

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  1. ^ a b c d HMNZS Tui
  2. ^ a b The Royal New Zealand Navy, p. 203
  3. ^ The Royal New Zealand Navy, pp. 203-204
  4. ^ a b HMNZS Sanda
  5. ^ a b c The Royal New Zealand Navy, p. 204
  6. ^ The Royal New Zealand Navy, p. 204, HMNZS Sanda
  7. ^ a b The Royal New Zealand Navy, p. 267
  8. ^ The Royal New Zealand Navy, pp. 309-310, HMNZS Tui
  9. ^ The Royal New Zealand Navy, p. 234, HMNZS Tui
  10. ^ The Royal New Zealand Navy, p. 327
  11. ^ The Royal New Zealand Navy, p. 327-328
  12. ^ HMNZS Arabis
  13. ^ The Royal New Zealand Navy, p. 276

参考文献

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