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デリック・メイ (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デリック・メイ
Derrick May
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ロチェスター
生年月日 (1968-07-14) 1968年7月14日(56歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1986年 MLBドラフト1巡目(全体9位)でシカゴ・カブスから指名
初出場 MLB / 1990年9月6日
NPB / 2001年3月24日
最終出場 MLB / 1999年10月3日
NPB / 2003年5月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴

デリック・ブラント・メイDerrick Brant May , 1968年7月14日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の元プロ野球選手外野手)、野球指導者。右投左打。

2001年から2003年まで千葉ロッテマリーンズに所属した。

父のデーブ・メイ英語版もメジャーリーグの外野手であり、ミルウォーキー・ブルワーズ時代にオールスター出場、その後ハンク・アーロンのトレード相手としてマイナー選手1人とともにアトランタ・ブレーブスに移籍するなど12年間にわたってプレーしていた。

経歴

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1986年MLBドラフト1巡目(全体9位)でシカゴ・カブスから指名され契約。

1990年メジャー初昇格。メジャーでは実働10年で6球団を渡り歩く。

1999年の途中からはリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルモンテレイ・サルタンズでプレーするが[1]2000年オフに千葉ロッテマリーンズの入団テストを受けて合格し、入団。来日1年目の2001年に31本塁打を放ち、主砲としての役割を果たし、福浦和也フランク・ボーリックらと強力クリーンナップを形成した。2002年は本塁打が23本と30本塁打には届かなかったが、勝負強い打撃でチームトップの90打点をマークした。同年4月1日のダイエー戦で2回見逃し三振に倒れた際、球審の小寺昌治に判定を不服として小寺に足で砂をかけ侮辱したとして退場処分となった。2003年は不調に陥ってしまい二軍落ちし、そのまま復調の気配が見られなかったことや、この年入団したリック・ショートホセ・フェルナンデスが好調で外国人枠が無かったこと、更に年齢的にもベテランといえることが重なり来期構想外になる。その後戦力外通告を受け退団。当時の応援歌はDropkick Murphysの「For Boston」が原曲となっており、応援歌では「D・メイ」とコールされた。メイの退団後はマット・フランコ、のち神戸拓光に引き継がれた。

2005年2006年セントルイス・カージナルス傘下のA+級パームビーチ・カージナルス英語版の打撃コーチ、2007年から2010年は同じくカージナルス傘下のAA級スプリングフィールド・カージナルスの打撃コーチに就任するなど打撃コーチを歴任。2011年にはカージナルス傘下マイナーリーグの打撃コーディネーターに就任した。

2016年はカージナルスで打撃コーチ補佐を務める[2]も、1年限りで退任となった。

2017年はコロラドロッキーズ傘下のマイナーリーグチームのコーチだった。

2019年5月に来日し、千葉県のトイザらスベビーザらス幕張新都心店にてトークショーを行った[3]。この日の夜には、ロッテ時代のチームメイトのサブローがメイと時間を共にした様子を伝えている[4]

2021年はMLBのドラフトで指名された大学生が参加するサマーリーグのチームのコーチだった。

2022年は韓国KBOリーグSSGランダースの二軍打撃コーチだった[5]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1990 CHC 17 63 61 8 15 3 0 1 21 11 1 0 0 0 2 0 0 7 1 .246 .270 .344 .614
1991 15 25 22 4 5 2 0 1 10 3 0 0 0 1 2 0 0 1 1 .227 .280 .455 .735
1992 124 371 351 33 96 11 0 8 131 45 5 3 2 1 14 4 3 40 10 .274 .306 .373 .679
1993 128 503 465 62 137 25 2 10 196 77 10 3 0 6 31 6 1 41 15 .295 .336 .422 .757
1994 100 378 345 43 98 19 2 8 145 51 3 2 1 2 30 4 0 34 11 .284 .340 .420 .760
1995 MIL 32 119 113 15 28 3 1 1 36 9 0 1 0 0 5 0 1 18 1 .248 .286 .319 .604
HOU 78 229 206 29 62 15 1 8 103 41 5 0 0 3 19 0 1 24 4 .301 .358 .500 .858
'95計 110 348 319 44 90 18 2 9 139 50 5 1 0 3 24 0 2 42 5 .282 .333 .436 .769
1996 109 294 259 24 65 12 3 5 98 33 2 2 0 3 30 8 2 33 3 .251 .330 .378 .708
1997 PHI 83 158 149 8 34 5 1 1 44 13 4 1 0 1 8 3 0 26 4 .228 .266 .295 .561
1998 MON 85 192 180 13 43 8 0 5 66 15 0 0 0 1 11 1 0 24 5 .239 .281 .367 .648
1999 BAL 26 56 49 5 13 0 0 4 25 12 0 0 0 1 4 0 0 6 2 .265 .315 .510 .825
2001 ロッテ 132 547 490 59 138 31 0 31 262 91 0 3 0 4 46 1 7 81 8 .282 .349 .535 .884
2002 136 547 490 57 134 26 1 23 231 90 2 1 0 2 47 5 8 89 12 .273 .346 .471 .817
2003 30 128 118 13 29 8 0 5 52 19 0 0 0 0 10 0 0 13 2 .246 .305 .441 .745
MLB:10年 797 2386 2200 244 596 103 10 52 875 310 30 12 3 19 156 26 8 254 57 .271 .319 .398 .717
NPB:3年 298 1222 1098 129 301 65 1 59 545 200 2 4 0 6 103 6 15 183 22 .274 .343 .496 .839

記録

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NPB
  • 初出場・初先発出場:2001年3月24日、対西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)、6番・右翼手で先発出場
  • 初安打・初本塁打・初打点:2001年3月25日、対西武ライオンズ2回戦(西武ドーム)、1回表に石井貴から右越先制2ラン
  • 初盗塁:2002年7月27日、対西武ライオンズ16回戦(西武ドーム)、9回表に二盗(投手:青木勇人、捕手:中嶋聡

背番号

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  • 27(1990年 - 1994年)
  • 12(1995年 - 同年途中)
  • 16(1995年途中 - 1996年)
  • 34(1997年)
  • 14(1998年)
  • 29(1999年)
  • 00(2001年 - 2003年)
  • 48(2016年)
  • 87(2022年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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