コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

デニーズ・ルイス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Denise Lewis Portal:陸上競技
選手情報
イギリスの旗 英国
競技 陸上競技
種目 七種競技
所属 Birchfield Harriers
生年月日 (1972-08-27) 1972年8月27日(52歳)
生誕地 West Bromwich, England
身長 5 ft 9 in (1.75 m)
コーチ担当者 Charles van Commenee, Darrell Bunn
引退 2005
自己ベスト 6,831 pts (2000)
獲得メダル
女子陸上競技
イギリスの旗 イギリス
陸上競技
オリンピック
1996 アトランタ 七種競技
2000 シドニー 七種競技
編集 テンプレートのヘルプを表示する

デニーズ・ルイス(Denise Lewis、1972年8月27日 - )は、イギリス陸上競技選手七種競技を専門とする選手で、2000年シドニーオリンピックの金メダリストである。現在はコモンウェルスゲームズイングランド会長。

経歴

[編集]

ルイスは子供のころ、合唱団に入り、バレエタップダンスを習っていた。そして、陸上のクラブに入部。いくつかの種目に挑戦し、彼女は七種競技を行っていくこととした。1989年に彼女は最初の競技会に出場。5277ポイントという平凡な記録に終わっているが、将来性を感じさせるものであった。

彼女は1994年コモンウェルスゲームズに出場。この大会で金メダルを獲得したことにより転機が訪れる。翌年の世界選手権では6299ポイントで7位という結果に終わったものの、翌年の1996年アトランタオリンピックでは見事銅メダルを獲得する。なお、彼女はこの大会で走幅跳にも出場しているが予選落ちしている。

1997年の世界選手権では、ドイツザビーネ・ブラウン(Sabine Braun)が、最初の種目からリードを奪い優勝。ルイスは6654ポイントをあげ、ブラウンについで銀メダルを獲得した。さらに、翌年のヨーロッパ選手権ではポーランドウルスラ・ウロダルチク(Urszula Włodarczyk)らを抑え、ついに優勝を果たす。1999年世界選手権では、ルイスの前にフランスユニス・バルベル(Eunice Barber)が立ちはだかる。ルイスは1ポイント差追う形で初日を終えたものの、2日目はバルベルがさらにその差を拡大し、ルイスは2位に終わる。

2000年シドニーオリンピックでは、初日を終えた段階で、トップのベラルーシナタリア・サザノビッチ(Natallia Sazanovich)に51ポイント差を追う形で3位で折り返す。そして、6種目のやり投でルイスはトップに躍り出る。最終種目の800mはゴールした瞬間、誰が勝ったかわからなかったが、場内のコールはルイスの金メダルを告げる。

オリンピックで金メダルを獲得した後のルイスは、2001年の世界選手権はけがのため欠場。2002年のヨーロッパ選手権は出産のために欠場している。そして2003年、彼女は競技に復帰する。しかし、すでにルイスの時代ではなく、新たなスターであるスウェーデンカロリナ・クリュフト(Carolina Klüft)の時代となっていた。2003年の世界選手権でもクリュフトが金メダル。ルイスは5位に終わっている。

ルイスは2004年アテネオリンピックにも出場したが、けがに苦しみ、走り幅跳び種目の後、出場を辞退した。しかし、チームメートのケリー・サザートン(Kelly Sotherton)がメダルを獲得。イギリス勢にとって3大会連続のメダルとなった。

主な実績

[編集]
大会 場所 種目 結果 記録
1994 コモンウェルスゲームズ ビクトリア(カナダ) 七種競技 1位 6325
1996 オリンピック アトランタ(アメリカ合衆国) 七種競技 3位 6489
1997 世界陸上選手権 アテネ(ギリシャ) 七種競技 2位 6654
1998 ヨーロッパ陸上選手権 ブダペスト(ハンガリー) 七種競技 1位 6559
1998 コモンウェルスゲームズ クアラルンプール(マレーシア) 七種競技 1位 6513
1999 世界陸上選手権 セビリヤ(スペイン) 七種競技 2位 6724
2000 オリンピック シドニー(オーストラリア) 七種競技 1位 6584

外部リンク

[編集]