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デニース・ウィリアムス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デニース・ウィリアムス
Deniece Williams
出生名 ジューン・デニース・チャンドラー
生誕 (1951-06-03) 1951年6月3日(73歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国インディアナ州ゲーリー
ジャンル ソウルR&Bディスコポップゴスペル
職業 シンガーソングライター
活動期間 1968年 -

デニース・ウィリアムスDeniece "Niecy" Williams[1][2][3]1951年6月3日 - )は、アメリカ合衆国女性歌手シンガーソングライター音楽プロデューサー[4][5][6][7]。出生名ジューン・デニース・チャンドラー(June Deniece Chandler)[4][5][6]。愛称はニーシー(Niecy)[4][7]ジョニー・マティスとの二重唱「涙のデュエット」(原題: Too Much, Too Little, Too Late)、ロイヤレッツ英語版カバーイッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル英語版」、『フットルース』の挿入歌レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ英語版」などの大ヒットで知られる[4][5][8]

経歴

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インディアナ州ゲーリーに生まれる[5][6][8][7]。 父はペンテコステ教会牧師、おじはインディアナ州の同教会監督であり、母は父と共に聖歌隊で歌っていた[6]

デニースは、両親のあまりにも美しい歌声にプレッシャーさえ感じ[6]、母は特に歌手として子供のころ憧れの存在であった。礼拝には欠かせないゴスペルを唯一の音楽とする、ペンテコステ教会の厳格な会衆の前でデニースは歌いながら育つ[5][8]。母が過去に、准看護師としてシカゴの病院で勤務していたのもあり[6]、デニースは高校を卒業すると、メリーランド州ボルチモアモーガン州立大学英語版に入り、看護師や麻酔の資格を持つ看護師(Nurse Anesthetist)になるのを目指すが[4][6]、1年半であきらめて自主退学している[6]。その間にシカゴの慈善病院[9]病棟クラークを経験したり[4][5][6][8]電話会社に勤めたりもするが、ナイトクラブで歌うアルバイトを得ると、それが魅力的な楽しみになり音楽の道を選んだ[4][6]

それからまもなく、スティーヴィー・ワンダーの友人で[5][10]、デニースのいとこにあたるジョン・ハリス(John Harris)から、スティーヴィーのバックバンド「ワンダーラブ」(Wonderlove)のコーラス参加の提案があって実現すると[5][6][8]、ツアー活動を通してプロとしての多くの経験を積むことができた[8]。そうした数年間の貴重な音楽活動を経て、デニースはアース・ウィンド・アンド・ファイアーのリーダーであるモーリス・ホワイトに師事するようになる[4][5][6][8]。さらにソロデビューに向けてプロデューサーとなったモーリスには、自分の表現力を上げることや音楽ビジネスの心得などを学んだ[5][8]

結果としてスティーヴィーのもとを去ることになったデニースは、1975年コロムビア・レコードと契約、シンガーソングライターとしてソロデビューを果たす。ファーストアルバムのヒットで順調なスタートを切ったデニースは、その後、数々の大ヒットを記録した[4][5][8]。そして自身の原点である福音[4][5][6][8]、ゴスペル音楽に戻ると、グラミー賞ゴスペルの各部門でたびたび受賞するに至っている[4][5][8]

ディスコグラフィ

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1982年に出された「イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル」のレコードレーベル

脚注

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  1. ^ A Product of Memphis: Q & A with Jazze Pha - Calling the Bluff (英語). en:Memphis Flyer. (2013年7月18日). http://www.memphisflyer.com/CallingtheBluff/archives/2013/07/18/a-product-of-memphis-q-and-a-with-jazze-phal 2016年10月9日閲覧。 
  2. ^ David Hamsley (2015-11-24) (英語). To Disco, with Love: The Records That Defined an Era. en:Flatiron Books. p. 132. ISBN 9781250068453. https://books.google.co.jp/books?id=JKVvCQAAQBAJ&pg=PT132&dq=Deniece+Niecy+Williams#v=onepage&q=Deniece%20Niecy%20Williams&f=false 2016年10月9日閲覧。 
  3. ^ J. Moffett Walker (2010-05-19) (英語). Blueprints of Sir Michael. en:AuthorHouse. p. 1. ISBN 9781449092634. https://books.google.co.jp/books?id=cAbzW66xZqwC&pg=PA1&dq=Deniece+Niecy+Williams#v=onepage&q=Deniece%20Niecy%20Williams&f=false 2016年10月9日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k ABOUT NIECY”. The Official Website of Deniece Williams. 2020年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月9日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m Deniece Williams - Biography & History” (英語). オールミュージック. 2016年10月9日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m Heikki Suosalo. “Deniece Williams Story with Interview” (英語). Soul Express Online. 2016年10月9日閲覧。
  7. ^ a b c Deniece Williams” (英語). Last.fm. 2016年10月9日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k Deniece Williams - Biography” (英語). ビルボード. 2016年10月9日閲覧。
  9. ^ en:Mercy Hospital and Medical Center
  10. ^ Stevie Wonder Biography - Chapter 9” (英語). steviewonder.org.uk. 2016年10月10日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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