デニース・ウィリアムス
デニース・ウィリアムス Deniece Williams | |
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出生名 | ジューン・デニース・チャンドラー |
生誕 | 1951年6月3日(73歳) |
出身地 | アメリカ合衆国インディアナ州ゲーリー |
ジャンル | ソウル、R&B、ディスコ、ポップ、ゴスペル |
職業 | シンガーソングライター |
活動期間 | 1968年 - |
デニース・ウィリアムス(Deniece "Niecy" Williams[1][2][3]、1951年6月3日 - )は、アメリカ合衆国の女性歌手・シンガーソングライター・音楽プロデューサー[4][5][6][7]。出生名ジューン・デニース・チャンドラー(June Deniece Chandler)[4][5][6]。愛称はニーシー(Niecy)[4][7]。ジョニー・マティスとの二重唱「涙のデュエット」(原題: Too Much, Too Little, Too Late)、ロイヤレッツのカバー「イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル」、『フットルース』の挿入歌「レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ」などの大ヒットで知られる[4][5][8]。
経歴
[編集]インディアナ州ゲーリーに生まれる[5][6][8][7]。 父はペンテコステ教会の牧師、おじはインディアナ州の同教会監督であり、母は父と共に聖歌隊で歌っていた[6]。
デニースは、両親のあまりにも美しい歌声にプレッシャーさえ感じ[6]、母は特に歌手として子供のころ憧れの存在であった。礼拝には欠かせないゴスペルを唯一の音楽とする、ペンテコステ教会の厳格な会衆の前でデニースは歌いながら育つ[5][8]。母が過去に、准看護師としてシカゴの病院で勤務していたのもあり[6]、デニースは高校を卒業すると、メリーランド州ボルチモアのモーガン州立大学に入り、看護師や麻酔の資格を持つ看護師(Nurse Anesthetist)になるのを目指すが[4][6]、1年半であきらめて自主退学している[6]。その間にシカゴの慈善病院[9]で病棟クラークを経験したり[4][5][6][8]、電話会社に勤めたりもするが、ナイトクラブで歌うアルバイトを得ると、それが魅力的な楽しみになり音楽の道を選んだ[4][6]。
それからまもなく、スティーヴィー・ワンダーの友人で[5][10]、デニースのいとこにあたるジョン・ハリス(John Harris)から、スティーヴィーのバックバンド「ワンダーラブ」(Wonderlove)のコーラス参加の提案があって実現すると[5][6][8]、ツアー活動を通してプロとしての多くの経験を積むことができた[8]。そうした数年間の貴重な音楽活動を経て、デニースはアース・ウィンド・アンド・ファイアーのリーダーであるモーリス・ホワイトに師事するようになる[4][5][6][8]。さらにソロデビューに向けてプロデューサーとなったモーリスには、自分の表現力を上げることや音楽ビジネスの心得などを学んだ[5][8]。
結果としてスティーヴィーのもとを去ることになったデニースは、1975年にコロムビア・レコードと契約、シンガーソングライターとしてソロデビューを果たす。ファーストアルバムのヒットで順調なスタートを切ったデニースは、その後、数々の大ヒットを記録した[4][5][8]。そして自身の原点である福音[4][5][6][8]、ゴスペル音楽に戻ると、グラミー賞ゴスペルの各部門でたびたび受賞するに至っている[4][5][8]。
ディスコグラフィ
[編集]- 私はデニース (This Is Niecy)(1976年)
- ソング・バード (Song Bird)(1977年)
- That's What Friends Are For(1978年)
- When Love Comes Calling(1979年)
- My Melody(1981年)
- Niecy(1982年)
- I'm so Proud(1983年)
- Let's Hear It for the Boy(1984年)
- So Glad I Know(1986年)
- Hot on the Trail(1986年)
- Water Under the Bridge(1987年)
- As Good as It Gets(1988年)
- Special Love(1989年)
- Lullabies to Dreamland(1991年)
- Love Solves It All(1996年)
- This Is My Song(1998年)
- Love, Niecy Style(2007年)
脚注
[編集]- ^ “A Product of Memphis: Q & A with Jazze Pha - Calling the Bluff” (英語). en:Memphis Flyer. (2013年7月18日) 2016年10月9日閲覧。
- ^ David Hamsley (2015-11-24) (英語). To Disco, with Love: The Records That Defined an Era. en:Flatiron Books. p. 132. ISBN 9781250068453 2016年10月9日閲覧。
- ^ J. Moffett Walker (2010-05-19) (英語). Blueprints of Sir Michael. en:AuthorHouse. p. 1. ISBN 9781449092634 2016年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “ABOUT NIECY”. The Official Website of Deniece Williams. 2020年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “Deniece Williams - Biography & History” (英語). オールミュージック. 2016年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m Heikki Suosalo. “Deniece Williams Story with Interview” (英語). Soul Express Online. 2016年10月9日閲覧。
- ^ a b c “Deniece Williams” (英語). Last.fm. 2016年10月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “Deniece Williams - Biography” (英語). ビルボード. 2016年10月9日閲覧。
- ^ en:Mercy Hospital and Medical Center
- ^ “Stevie Wonder Biography - Chapter 9” (英語). steviewonder.org.uk. 2016年10月10日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- デニース・ウィリアムス - IMDb
- The Official Website of Deniece Williams
- Deniece Williams (@niecyofficial) - X(旧Twitter)
- Deniece Williams (NiecyOfficial) - Facebook
- Deniece Williams (@niecyofficial) - Instagram
- Deniece Williams - It's Gonna Take a Miracle - YouTube DenieceWilliamsVEVO