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デド2世 (ラウジッツ辺境伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デド2世
Dedo II.
ラウジッツ辺境伯
在位 1069年

死去 1069年
家名 ヴェッティン家
父親 デド1世
母親 オーダ・フォン・ラウジッツ
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デド2世(Dedo II., ? - 1069年)は、ヴェッティン家出身のラウジッツ辺境伯(在位:1069年)。

生涯

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デド2世はラウジッツ辺境伯デド1世とその最初の妻オーダ・フォン・ラウジッツの間の長男である。1063年以降に、バイエルン大公オットー・フォン・ノルトハイムから「フン族の大王アッチラの剣」を送られた。その剣はもともとハンガリー王母アナスタシヤからオットー・フォン・ノルトハイムに贈られたものであった[1][2]

1069年夏、父デド1世がドイツ王ハインリヒ4世に対して反乱を起こしたが敗れ、デド2世は父の持っていたラウジッツ辺境伯位を与えられた[3]。同年(10月26日以前)、デド2世は夜に用を足している時に暗殺された。この暗殺の黒幕は継母のアデール・ド・ルーヴァンであると噂された[4]。「フン族の大王アッチラの剣」はデド2世の死の後に、ハインリヒ4世によって没収された[1][2]

脚注

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  1. ^ a b András Róna-Tas, Hungarians and Europe in the Early Middle Ages: An Introduction to Early Hungarian History (Central European University Press, 1999), p. 57.
  2. ^ a b I. S. Robinson, Henry IV of Germany, 1056–1106 (Cambridge University Press, 1999), pp. 66–68.
  3. ^ Lampert, Annales, a.1069, 108.
  4. ^ Lampert, Annales, a.1069, 108f.

参考文献

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  • Lampert of Hersfeld, Annales, in O. Holder-Egger (ed.), Lamperti monachi Hersfeldensis Opera, MGH SS rer Germ 38 (Hanover, 1894).
  • I.S. Robinson, The Annals of Lampert of Hersfeld (Manchester, 2015)
先代
デド1世
ラウジッツ辺境伯
1069年
次代
デド1世