デイヴィッド・ワース・クラーク
デイヴィッド・ワース・クラーク | |
---|---|
David Worth Clark | |
アメリカ合衆国上院議員 アイダホ州選出 | |
任期 1939年1月3日 – 1945年1月3日 | |
前任者 | ジェイムズ・ポープ |
後任者 | グレン・H・テイラー |
アメリカ合衆国下院議員 アイダホ州アイダホ州2区選出 | |
任期 1935年1月3日 – 1939年1月3日 | |
前任者 | トマス・コフィン |
後任者 | ヘンリー・ドワシャーク |
個人情報 | |
生誕 | 1902年4月2日 アメリカ合衆国 アイダホ州、アイダホフォールズ |
死没 | 1955年6月19日 (53歳没) アメリカ合衆国 カリフォルニア州、ロスアンゼルス |
墓地 | ホーリー・クロス墓地 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
政党 | 民主党 |
配偶者 | Virgil Irwin Clark (1901年-1991年) (1926年結婚)[1] |
子供 | 3女[1] |
出身校 | ノートルダム大学 (A.B. 1922年) ハーバード・ロー・スクール, 1925年 |
専業 | 弁護士 |
宗教 | カトリック |
デイヴィッド・ワース・クラーク、別名:D・ワース・クラーク(David Worth Clark, 1902年4月2日-1955年6月19日)は、アメリカ合衆国アイダホ州出身の政治家(民主党)。連邦下院議員を2期、連邦上院議員を1期務めた。
経歴
[編集]1902年4月2日、デイヴィッド・ワース・クラークはボンネビル郡アイダホフォールズで生まれ、1922年にノートルダム大学を卒業した。1925年にハーバード・ロー・スクールを卒業すると、同年に弁護士資格を取得してアイダホ州ポカテッロで弁護士活動を開始した。1933年から1935年までの州司法長官補佐として務めたのち、1934年選挙でアイダホ州第2選挙区から連邦下院議員に選出された[2]。同選挙区選出のトマス・コフィン連邦下院議員は任期中の1933年3月4日に急死していたため、数ヶ月の間議席が空席であった。1936年選挙ではヘンリー・ドワシャークを破って再選を果たしている[3]。
年 | 民主党 | 票数 | 得票率 | 共和党 | 票数 | 得票率 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1934年 | D・ワース・クラーク | 57,547 | 60.7% | Heber Q. Hale | 37,200 | 39.3% | |
1936年 | D・ワース・クラーク | 67,238 | 60.5% | ヘンリー・ドワシャーク | 43,834 | 39.5% |
1938年、クラークは上院議員選挙に出馬し、8月の民主党予備選挙で現職のジェームズ・ポープを破って指名を獲得。総選挙では、共和党のドナルド・A・カラハン元州議会議員に勝利した。1944年の民主党予備選挙でグレン・テイラーに敗れ、再選を逃した。1950年、クラークは上院議員議席奪還を目指し、予備選挙でテイラーを破ったが、共和党のハーマン・ウェルカー州上院議員に敗れた[4]。
クラークは落選後ボイシとワシントンD.C.で弁護士業を再開した。1954年にロサンゼルスに移り、ラジオ局や銀行業に携わった[2]。1955年6月19日、妻や末娘とテレビを見ていたクラークは南カリフォルニアの自宅で心臓発作により53歳で亡くなり[5][6]、カリフォルニア州カルバーシティのホーリー・クロス墓地に埋葬された[7]。
年 | 民主党 | 票数 | 得票率 | 共和党 | 票数 | 得票率 | その他 | 政党 | 票数 | 得票率 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1938年 | D・ワース・クラーク | 99,801 | 54.7% | ドナルド・A・カラハン | 81,939 | 44.9% | V.A. Verbei | 進歩党 | 845 | 0.46% | ||
1950年 | D・ワース・クラーク | 77,180 | 38.3% | ハーマン・ウェルカー | 124,237 | 61.7% |
親族
[編集]- おじ:バルジラ・クラーク- アイダホフォールズ市長、第16代アイダホ州知事
- おじ:チェイス・A・クラーク- 第18代アイダホ州知事、アイダホ地区連邦地方裁判所主任判事
- 従姉妹:ベサイン・クラーク - チェイスの娘。夫はフランク・チャーチ上院議員(アイダホ州選出)
- 従甥:フランク・フォレスター・チャーチ4世- べサインとフランクの息子。神学者。
- 義姉:ルシール - 妻バージルの妹。夫は第24代アイダホ州知事のロバート・スマイリー[5]。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ^ a b The American Catholic Who's Who. Walter Romig. (1946–1947). p. 64
- ^ a b “CLARK, David Worth; 1902 – 1955”. bioguide.congress.gov. 2021年12月18日閲覧。
- ^ “ID District 2 Race - Nov 03, 1936”. Our Campaigns. 2022年1月14日閲覧。
- ^ “Idaho will send four-man GOP team to capital”. Spokane Daily Chronicle. Associated Press ((Washington)): p. 2. (November 8, 1950)
- ^ a b “D. Worth Clark, ex-Senator, dies”. Spokane Daily Chronicle. United Press ((Washington)): p. 6. (June 20, 1955)
- ^ “D. Worth Clark rites planned”. Spokane Daily Chronicle. United Press ((Washington)): p. 3. (June 21, 1955)
- ^ “The Political Graveyard: Index to Politicians: Clark, C to D”. politicalgraveyard.com. 2021年12月18日閲覧。
外部リンク
[編集]- United States Congress. "デイヴィッド・ワース・クラーク (id: C000428)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
- Idaho State Historical Society entry (PDF - requires reader)
- Boise State University Library – D. Worth Clark (1902–1955) – papers, 1935–1950
- デイヴィッド・ワース・クラーク - Find a Grave
アメリカ合衆国下院 | ||
---|---|---|
先代 トマス・コフィン |
アイダホ州選出下院議員 アイダホ州2区 第3代: 1935年1月3日–1939年1月3日 |
次代 ヘンリー・ドワシャーク |
アメリカ合衆国上院 | ||
先代 ジェイムズ・ポープ |
アイダホ州選出上院議員(第3部) 第11代: 1939年1月3日–1945年1月3日 同職:ウィリアム・ボーラ, ジョン・W・トマス |
次代 グレン・H・テイラー |