ディ・ディ・ピアース
表示
ディ・ディ・ピアース De De Pierce | |
---|---|
ディ・ディ・ピアース(1970年代) | |
基本情報 | |
出生名 | Joseph De Lacroix Pierce |
生誕 | 1904年2月18日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ルイジアナ州ニューオーリンズ |
死没 | 1973年11月23日(69歳没) |
ジャンル | ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | トランペット、コルネット |
ディ・ディ・ピアース(De De Pierce、1904年2月18日 - 1973年11月23日)[1]は、アメリカのジャズ・トランペット奏者にしてコルネット奏者。ビリー・ピアースとの「Peanut Vendor」や「Dippermouth Blues」といった曲で最もよく覚えられている[2]。
略歴
[編集]ピアースは、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズでジョセフ・デ・ラクロワ・ピアースとして生を受けた[2]。ピアースの最初のギグは、1924年にニューオーリンズでアーノルド・デュパスと共に行われた。
都会のナイトクラブで演奏している間、彼は妻となり音楽の伴侶ともなるビリー・ピアースと出会った[1]。2人は、1930年代から1950年代にかけてルースジェンス・ダンス・ホールのハウスバンドに在籍した。彼らは何枚かのアルバムを一緒にリリースしたが、1950年代の半ば、病気のため共にパフォーマンスすることをやめた。そして病気のため、ディ・ディ・ピアースは盲目になってしまった[3]。
1959年までに彼らは演奏を再開し[1]、ディ・ディ・ピアースはアイダ・コックスと一緒にツアーを行ったり、プリザベーション・ホール・ジャズ・バンドで演奏を行うなどしたが、さらなる健康問題が彼のキャリアを終わらせることとなった[3]。
彼は1973年11月に69歳で亡くなった[2]。彼はカトリックによるジャズ葬を受けた[4]。
ディスコグラフィ
[編集]リーダー・アルバム
[編集]- In Binghamton N.Y. Vol. One (1994年、American Music) ※with ビリー・ピアース
- In Binghamton N.Y. Vol.Two (1994年、American Music) ※with ビリー・ピアース
ビリー & ディ・ディ・ピアース
[編集]- Blues and Tonks from the Delta (1961年、Riverside)
- Vocal Blues and Cornet in the Classic Tradition (1961年、Riverside)
- Jazz at Preservation Hall 2 (1963年、Atlantic)
- New Orleans' Billie & De De and Their Preservation Hall Jazz Band (1966年、Preservation Hall)
- New Orleans Jazz (1971年、Arhoolie)
- Billie and De De Pierce at Luthjen's (1976年、Center)
- 1960 (1994年、G.H.B.)
脚注
[編集]- ^ a b c Colin Larkin, ed (1992). The Guinness Encyclopedia of Popular Music (First ed.). Guinness Publishing. p. 1957. ISBN 0-85112-939-0
- ^ a b c “The Dead Rock Stars Club - The 1970s”. Thedeadrockstarsclub.com. 4 October 2021閲覧。
- ^ a b Yanow, Scott. “Billie & De De Pierce”. AllMusic. November 2, 2010閲覧。
- ^ Reed, Roy Reed (1973年11月27日). “For DeDe Pierce: ‘Jazz Funeral’ With 4 Bands” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331 2021年9月27日閲覧。