ディンニェーシュ・ラヨシュ
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ディンニェーシュ・ラヨシュ Dinnyés Lajos | |
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ディンニェーシュ・ラヨシュ(1948年撮影) | |
生年月日 | 1901年4月16日 |
出生地 | オーストリア=ハンガリー帝国 アルソダバシュ |
没年月日 | 1961年5月3日(60歳没) |
死没地 | ハンガリー ブダペスト |
所属政党 | 独立小農業者党 |
在任期間 | 1947年5月31日 - 1948年12月10日 |
大統領 |
ティルディ・ゾルターン サカシチ・アールパード |
選挙区 | アルソダバシュ |
在任期間 | 1931年7月1日 - 1939年5月30日 |
ディンニェーシュ・ラヨシュ(ハンガリー語: Dinnyés Lajos, 1901年4月16日 - 1961年5月3日)は、ハンガリーの政治家。独立小農業者党員。非共産党政権の最後の首相を務めた(1947-48年)。
ディンニェーシュは1901年、ダバシュ(Dabas, Alsódabas)で生まれた。彼は農業を学び、そして小農業者党を代表する政治家となった。1931年から1938年の間、彼はアルソーダバス選出の国会議員を務めた。1947年3月、彼は小農業者党指導者、ナジ・フェレンツの政権で国防相となった。1947年5月30日、ソ連を後ろ盾とする共産党が、首相を国外に追放したとき、ディンニェーシュはその後任となった。1947年8月31日のいわゆる「青紙選挙」(Blue Papers Election)で、小農業者党は共産党に次ぐ第2党に甘んじた。デンニェーシュはその年いっぱいは首相の地位に留まったが、しかし共産党指導者ラーコシ・マーチャーシュに支配された忠実な傀儡でしかなかった。彼が名目上の首相の肩書きを保有する一方で、ラーコシは工場、銀行、教派学校を国有化することで、共産党独裁の基礎を固めていった。ディンニェーシュはこの後、国立農業図書館の館長となり、そして国会副議長となった。
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