ディトマー・ヤコブス
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名前 | ||||||
本名 | Ditmar Jakobs | |||||
ラテン文字 | Ditmar Jakobs | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1953年8月28日(71歳) | |||||
出身地 | 西ドイツ・オーバーハウゼン | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1971-1974 | オーバーハウゼン | 45 | (12) | |||
1974-1977 | ボルシア・ベルリン | 101 | (16) | |||
1977-1979 | デュースブルク | 68 | (2) | |||
1979-1989 | ハンブルガー | 327 | (37) | |||
代表歴 | ||||||
1983-1989 | 西ドイツ | 20 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ディトマー・ヤコブス(Ditmar Jakobs, 1953年8月28日[1] -)は、ドイツ、オーバーハウゼン出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF[2]。キャリアの初期はMF[3]。
経歴
[編集]ハンブルガーSVには10シーズンに渡って在籍した、クラブのレジェンドの一人である[3]。ハンブルガーでは、リーグ戦では323試合に出場、これはクラブ歴代3位の記録である[3]。1982-83シーズンのチャンピオンズカップ決勝では、ユヴェントスのパオロ・ロッシやロベルト・ベッテガらを抑えて優勝に貢献した[3]。1983年のインターコンチネンタルカップでは、グレミオに1-2で敗戦した。1989-90シーズン、1989年9月20日のヴェルダー・ブレーメン戦での大怪我で突然キャリアを終えることとなった、この怪我はドイツサッカー史上最も悲劇的な出来事の一つとして知られる[3]。
1980年5月13日にポーランド戦で代表デビュー[4]。1984年9月12日のアルゼンチン戦で唯一のゴールを決めた[5]。1986年のワールドカップ・メキシコ大会では、グループリーグ初戦こそ出場機会は無かったが、その後の全6試合に先発起用され[4]、準優勝。
タイトル
[編集]- ハンブルガー
- サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ) 1981-82, 1982-83
- チャンピオンズカップ : 1982-83
- DFBポカール : 1986-87
- 西ドイツ
脚注
[編集]- ^ “Klaus Allofs”. Fussballdaten 2017年1月6日閲覧。
- ^ “Wolfgang Rolff”. Kicker. 2023年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e “HSV-IKONE DITMAR JAKOBS WIRD 70”. HamburgerSV (2023年8月23日). 2023年9月3日閲覧。
- ^ a b “Ditmar Jakobs - International Appearances”. RSSSF. 2023年9月3日閲覧。
- ^ “Ditmar Jakobs Nationalteam”. Transfermarkt. 2023年9月3日閲覧。