チャールズ・ウォロップ
表示
チャールズ・ウォロップ閣下(英語: Hon. Charles Wallop、1722年12月12日 – 1771年8月11日)は、グレートブリテン王国の政治家。
生涯
[編集]初代リミントン子爵ジョン・ウォロップ(1743年にポーツマス伯爵に叙爵)とブリジット・ベネット(Bridget Bennet、1696年9月3日洗礼 – 1738年10月12日、初代タンカーヴィル伯爵チャールズ・ベネットの娘[1])の三男として、1722年12月12日に生まれた[2]。1732年から1739年までウィンチェスター・カレッジで教育を受けた後[2]、1740年にケンブリッジ大学コーパス・クリスティ・カレッジに入学、1743年にM.A.の学位を修得した[3]。
1747年イギリス総選挙でウィットチャーチ選挙区から出馬して、無投票で庶民院議員に当選した[4][注釈 1]。1754年イギリス総選挙で立候補せず、議員を退任した[2]。
1771年8月11日、生涯未婚のまま[2]ハックニーで死去した[5]。
注釈
[編集]- ^ 父の初代ポーツマス伯爵がウィットチャーチ近くで領地を所有したほか、チャールズの兄にあたるリミントン子爵ジョン・ウォロップがジョン・コンデュイット(1737年没、ウィットチャーチ選挙区選出の庶民院議員)の娘と結婚していたため、ウォロップ家はウィットチャーチ選挙区で1議席を掌握した[4]。
出典
[編集]- ^ "Portsmouth, Earl of (GB, 1743)". Cracroft's Peerage (英語). 31 December 2017. 2020年9月17日閲覧。
- ^ a b c d Watson, Paula (1970). "WALLOP, Hon. Charles (1722-71).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年9月17日閲覧。
- ^ "Charles WALLOP (WLP740C)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b Watson, Paula (1970). "Whitchurch". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年9月17日閲覧。
- ^ Urban, Sylvanus, ed. (1771). "List of Deaths for the Year 1771". The Gentleman's Magazine (英語). Vol. 41. London: Edward Cave. p. 378.
グレートブリテン議会 | ||
---|---|---|
先代 ジョン・セルウィン トマス・ウェントワース |
庶民院議員(ウィットチャーチ選挙区選出) 1747年 – 1754年 同職:ジョン・セルウィン 1747年 – 1751年 ロバート・バーティー卿 1751年 – 1754年 |
次代 ウィリアム・ポーレット トマス・タウンゼンド |