ダーダネルス砲
ダーダネルス砲 | |
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ダーダネルス砲(フォート・ネルソン蔵) | |
種類 | 射石砲 |
運用史 | |
配備先 | オスマン帝国 |
関連戦争・紛争 | ダーダネルス作戦 |
開発史 | |
開発者 | ムニル・アリ[1] |
開発期間 | 1464年[1] |
諸元 | |
重量 | 16,800 kg (37,000 lb)[2] |
銃身長 | 518 cm (204 in)[1] |
直径 | 1,054 mm (41.5 in) |
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作動方式 | 火縄 |
仰角 | none |
旋回角 | none |
装填方式 | 前装式 |
ダーダネルス砲(英語: Dardanelles Gun[3])または大トルコ射石砲(英語: Great Turkish Bombard[2] トルコ語: Şahi topu, Şahi)は、オスマン帝国の軍事技術者ムニル・アリが1464年に製造した巨大な射石砲。イギリス・オスマン戦争中の1807年、イギリスのダーダネルス作戦に対抗して実戦で使用された[4]。
歴史
[編集]ブロンズ製のダーダネルス砲は重量16.8トン、全長5.18メートルで、直径63cmの石弾を射出できた。薬室と砲身がねじで接続されており、重量のわりに簡単に運搬できた。
このような巨砲は、ヨーロッパではすでに15世紀初頭から製造され、攻城戦に用いられていた[5]。シュミットヘンによれば、こうした巨砲の技術は1453年のコンスタンティノープル包囲戦の際に、ハンガリー王国出身のウルバンによってオスマン帝国にもたらされた[6]。そのため、アリが製造した巨砲もヨーロッパの大砲技術の系譜に連なっている[6]。一方でポール・ハンマーは、他の既に大砲技術を獲得していたイスラーム教国から技術がもたらされた可能性も指摘している[7]。
この大砲は340年以上もダーダネルス海峡に配備され、1807年にイギリス海軍が海峡へ侵入してきた際に実際に使用された。オスマン軍は時代遅れの火薬と射石砲をもって、イギリス艦隊に28人の損害を与えた[4]。この時の砲弾は鉄製で1027.5キログラムもあった。
1866年、スルターンのアブデュルアズィズは、オスマン帝国を訪問したイギリスのヴィクトリア女王にダーダネルス砲を贈った[6]。その後この射石砲はロイヤル・アーマリーズの所蔵品の一つとなり、まずロンドン塔に展示された。今ではフォート・ネルソンに移され、ポーツマスを見下ろしている[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c Schmidtchen (1977b), pp. 226–228
- ^ a b https://collections.royalarmouries.org/object/rac-object-6177.html
- ^ Ffoulkes (1930), pp. 217–227; Schmidtchen (1977b), pp. 226–228
- ^ a b Schmidtchen (1977b), p. 228
- ^ Schmidtchen (1977a), pp. 153–157
- ^ a b c Schmidtchen (1977b), p. 226
- ^ Paul E. J. Hammer (2007), Warfare in Early Modern Europe 1450-1660, page 297, Ashgate Publishing
- ^ “Geometry of War – Pg. 6” (PDF). 2018年12月20日閲覧。
参考文献
[編集]- Ffoulkes, Charles, "The 'Dardanelles' Gun at the Tower", Antiquarian Journal, Vol. 10 (1930), pp. 217–227
- Schmidtchen, Volker (1977a), "Riesengeschütze des 15. Jahrhunderts. Technische Höchstleistungen ihrer Zeit", Technikgeschichte 44 (2): 153–173 (153–157)
- Schmidtchen, Volker (1977b), "Riesengeschütze des 15. Jahrhunderts. Technische Höchstleistungen ihrer Zeit", Technikgeschichte 44 (3): 213–237 (226–228)
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、ダーダネルス砲に関するカテゴリがあります。