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ダリト文学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ダリト文学(だりとぶんがく、英語: Dalit literature)とは、インドの被差別民であるダリトによる文芸作品を指す。多言語国家であるインドにおいて、ダリトの作品はマラーティー語をはじめとしてヒンディー語テルグ語グジャラート語カンナダ語マラヤーラム語などさまざまな言語で執筆されている。

定義

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ダリトという語は、サンスクリット語では「引き裂かれた、壊された」を意味する[1]。被差別民については、ヒンディー語のアチュート(Achut)や、ガーンディーが提唱したハリジャン(Harijan)、英語のUntouchables、公式名称の特定カーストなどさまざまな呼称がある。被差別民の解放運動を通じて、ダリトは虐げられた人々の自称として広まっていった[注釈 1][3][4][1]

ダリト作家が執筆する文芸作品を「ダリト文学」と呼ぶ[5]。反差別の運動によって20世紀末にはダリトの政治参加も増えていき、文学はダリトの状況や主張を社会に伝える役割も果たしている[6]

歴史

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インド西部のマハーラーシュトラでは、13世紀から14世紀にマラーティー語の宗教詩が盛んだった。宗教詩人はサントと呼ばれ、サントによってアバングという宗教詩が詠まれた[注釈 2][7]。ヴァールカリー教団は、神の前では出自に関係なく平等であるという教えがあり、さまざまな階層のサントが活動した。ダリト出身のツォーカー(Cokhā)という詩人は、不浄な存在として扱われることに抗議するアバングを残している[8][7]。サントたちの活動は、当時の階層社会にとっては画期的であり、19世紀以降のマハーラーシュトラの社会運動の基礎となった[9]。ヒンディー文学においては、15世紀の詩人のカビールライダース英語版はダリトだったともいわれている[10]

インドはインド大反乱がイギリスに鎮圧されたのちにイギリス領インドとなった。インド人は社会改革運動を起こし、運動の中には不可触民(ダリト)の撤廃も含まれていた。被差別民のスワミ・アチューターナンド英語版は、権利獲得を目指して1920年代にアーディ・ヒンドゥー運動を始めた[11]。1920年代半ばから被差別民運動はガーンディーが中心となった[注釈 3][11]

植民地支配から独立したインドは、憲法でカースト制と不可触民を禁止した[注釈 4][6]。全ての国民に教育機会が保障され、指定カーストの識字率も上昇していった[注釈 5][14]。しかし、社会的な差別は依然として続いた[6]マハーラーシュトラ州では、ビームラーオ・アンベードカルが不可触民撤廃運動を行い、1956年には数十万人の不可触民とともに仏教に改宗した[15]。ダリトという自称もアンベードカルの提案だった[3]。インドでは差別解消のための留保制度が始まり、留保制度によって高学歴や経済的な上昇を得たダリトの中には、ロールモデルとなったり運動を推進する者も現れた[16]

アンベードカルの運動はマラーティー語のダリトの文芸活動に影響を与えた。1963年には初のダリト作家の短編集としてB・バーグル英語版『私がカーストを隠した時』が出版された[15]。ダリト作家の出版が増え、1972年にマハーラーシュトラ州でダリト・パンタル英語版(ダリト・パンサー)という政治団体が結成されて、文芸を通じたカースト批判や社会運動を行なった[注釈 6][16]。ダリト・パンタルは、ダリト文学運動が元になって発足した社会運動で、アンベードカルの影響を受けた改宗仏教徒たちが中心となった。次第に強硬な姿勢を取るようになり、アンベードカルの遺志で設立されたインド共和党とも対立した[17]

ヒンディー語の雑誌『サーリカー』では1975年4月号と5月号でダリト文学を特集した[18]。マラーティー語では『サンチェートナー』誌が1981年に特集をした[19]。しかし一般読者がヒンディー語のダリト作品について知るようになったのは、1980年代末頃からだった[20]。1986年にラージェンドラ・ヤータヴ英語版は月刊誌『ハンス英語版』を復刊した。『ハンス』は1952年に廃刊になっていた雑誌であり、ヤータヴは復刊コメントにおいて被差別民の闘いを取り上げていくと書いている[注釈 7]。『ハンス』でダリトについての作品の掲載が次第に増え、1990年にダリト作家が登場して以降に掲載作品が急増した[18]

1992年に英語の『ダリト文学選集』(An Anthology of Dalit Literature)と、英訳の選集『にがいパン』(Poisoned Bread)が出版されたことがきっかけで、ダリト文学が世界的に知られるようになった。『ダリト文学選集』はM・R・アーナンダと E・ゼリオットの編集で、『にがいパン』はダーングレーの編集だった[21]

作家・作品

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20世紀以降のダリトによる最初期の作品は、ヒーラー・ドームがボージュプリー語で書いた『不可触民の苦情』(1914年)という詩で、雑誌『サラスヴァティー英語版』に掲載された。内容は、自分たちは真面目に働いているのに上位カーストのようには報われず、生活が苦しく神も助けてくれないと書かれている[10]テルグ語作家のクスマ・ダルマンナテルグ語版の『黒い指導者』(1920年)は、ダリト文学運動の先駆的な作品となった[22]

最初に紹介が進んだダリト作家の作品は自伝だった[23]。マラーティー語では、ダヤー・パワール英語版の自伝小説『バルタ英語版』(1978年)は他のインドの言語にも翻訳され、パワールは1990年にパドマ・シュリー勲章を受賞した。L・B・マーネー英語版は『閉じた扉』(1984)で少数部族の暮らしを描いた。S・リムバーレー英語版は詩、批評、小説など40冊以上の著作があり、自伝『非合法』(1984年)はインド諸語の他に英訳『アウトカースト』も出版された[24]。ダリトの女性作家の自伝では、ベイビー・カーンブレー英語版ウルミラー・パワール英語版によるものがあり、夫をはじめとする男性の暴力についても触れられている[25]。ヒンディー語では、モハンダス・ナイミシュラーエ英語版『人それぞれの檻』(1995年)やプラカーシ・ヴァールミーキ英語版『残飯』(1997年)をはじめとして10数作が注目を集めた。差別を受けるという点は共通しつつ、境遇や経験は個人によって大きく異なる[注釈 8]。ベーチャエンやウムラーオシン・ジャータヴは皮革業のチャマール・カーストの生活を描き、ヴァールミーキは清掃業のカーストが受ける屈辱を描いた[注釈 9][27]

マラヤーラム語では、ケーララ州においてキリスト教徒のダリト作家が活動している。ポール・チラッカロードゥ(Pol Cirakkarotu)の『プラヤッタラ』(1962年)は、ダリトである農業労働者たちがキリスト教に改宗したのちも教会内部で差別を受ける現実を描いた。T・K・C・ヴァドゥタラ(T. K. C. Vatutala)のように、近年に再評価されたダリト作家もいる[28]

カンナダ語の文学では、個人と社会の関係や、差別・貧困・搾取などの社会問題を取り上げる文学の潮流を反抗派とも呼ぶ。反抗派の作家にはダリトが多いため、ダリタ派とも呼ばれる。カンナダ語のダリトの代表的な作家にマハーデーヴァ英語版がおり、故郷の村を舞台にした短編集『ディヤーヴァヌール』(1973年)などを発表している[29]

ダリトの女性作家では、ヒンディー語作家のバイサントリー英語版『二重の呪い』(1999年)やタークボウレー(Sushila Takbhore)『挟撃の苦しみ』(2011年)が社会と男性による二重の抑圧を描いている[30]。ダリト同士の対立はダリト運動の障害にもなっており、ナーワリヤー英語版は『向こう側の人々』(2007年)でその問題をテーマにした[30]

被害者や犠牲者としてのダリトに加えて、差別の克服や、世界的に共通する差別現象としてダリトを描く作品も発表されるようになった。ヤシカ・ダット英語版は『ダリトとしてカミングアウトすること』(2019年)という回想録で、出自のカミングアウト体験を率直に英語で綴った。この作品はインド文学アカデミーのサーヒトヤ・アカデミー賞英語版を受賞した。スーラジ・イエングデ(Suraj Yengde)は、『Caste Matters』(2019年)で経済的な中間層のダリトが出自から遠ざかったり私利私欲を優先させる傾向を批判的に論じている[注釈 10][32]

ダリトではない作家の作品

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ダリト文学を書く資格がある者についての問題は、長らく議論となっている。ダリトではない代表的な作家にムンシー・プレームチャンドがおり、小説『人生の広場』(1924年)や『屍衣』(1936年)の内容が差別的だと非難を受けている[注釈 11]。比較的古い世代の作家は、ダリトだけがダリト文学を書けると主張する者が多く、若い世代の作家にはプレームチャンドに問題はないとする者がいる[34]

出版、団体

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ダリトのメディアとして最初期のものには新聞があり、アチューターナンドによる『アチュート』(1905年創刊)や『アーディ・ヒンドゥー』(1917年創刊)がある。1920年代と1930年代はカースト撲滅協会の月刊誌『ウシャー』(1924年創刊)をはじめ各1点、1950年代は5点、1960年代は12点、1970年代は8点、1980年代は11点、1990年代5点と続き、他に詳細不明なものが数十点ある。無名の新聞や雑誌がほとんどで、そこにダリトの詩人や小説家が執筆していたとされる[20]

大手出版社がヒンディー語のダリトの作品を出版しなかったため、一般読者は1980年代末までダリトの作品について情報を得ることがほとんどなかった。作家のヴァールミーキは『サーリカー』誌が短編掲載を承諾してから10年たち、結局掲載されなかったという経験を書いている[35]。1990年代以降には翻訳が相次いだが、主な訳書には自伝が多く、ダリトの生活を新規な商品として消費するという問題が生じる可能性がある[36]

ダリト自身による報道や発信はダリト・メディアとも呼ばれ、ジャーナリスト、社会活動家、研究者らが推進している[37]。2002年にウッタル・プラデーシュ州で農村の女性による新聞カバル・ラハリヤが創刊され、ダリトの女性記者が活動している[38][39]。2011年から2012年にオンラインでダリト・カメラ英語版が開設され、ダリトへの暴力事件の報道、読書会、研究会、文化イベントの開催、エッセイや論評のプラットフォーム提供を行なっている[注釈 12][37]

文学団体としては、1958年にA・サーテー英語版が設立したマハーラーシュトラ・ダリト文学協会(Maharashtra Dalit Sahitya Sanga)がある。これはアンベードカルの運動の影響を受けた団体だった[15]。2000年にはダリト作家連盟が設立されたが、2007年に分裂が起き、2014年にナーワリヤーが新議長となった[35]

脚注

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注釈

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  1. ^ 叙事詩『ラーマーヤナ』の作者ヴァールミーキは下位のカーストの出身ともいわれており、その遺産を受け継ぐ意味でヴァールミーキ・カースト英語版を自称する清掃カーストもいる[2]
  2. ^ 著名なサント5人をパーンチ・サントカヴィ(5大宗教詩人)と呼び、ジュニャーネーシュヴァル、ナームデーヴ、エークナート、トゥカーラーム、ラームダースがいる[7]
  3. ^ ガーンディーの文学観は、知識人が民衆を指導するというものであり、民衆の言葉を作品に取り入れることや民衆自身の創作を促すことは重視されなかった。ガーンディーの提案は上位カーストを中心とする旧来の文芸サークルを維持するものであり、文学において大きな変化はもたらさなかった[12]
  4. ^ インド憲法には、法の前の平等(第14条)、カーストによる差別の禁止(第15条)、公務の雇用における機会均等(第16条)などがある[13]
  5. ^ 全人口と指定カーストの識字率の差は、1991年に14.8ポイント、2001年は10.1ポイント、2011年は6.9ポイントと縮まっている[14]
  6. ^ ダリト・パンタルは1950年代以降のアメリカ合衆国の公民権運動ブラック・パンサーの影響を受けて設立された[16]
  7. ^ ヤータヴは、ダリトではなくアチュートと表現した[19]
  8. ^ カーストにおける地位は、職業にあたって接触する物体の浄・不浄によって決められているとされる。不浄なものに触れやすいとされる清掃人、洗濯人、皮革職人、死畜処理人などは低い地位に置かれてきた[1]
  9. ^ 清掃カースト出身が賃金の足しに残飯をもらうという差別体験をもとに『残飯』が執筆された[26]
  10. ^ 2016年にダリト出身の大学院生ローヒト・ヴェームラー英語版が自殺し、国内外の抗議運動が起き、高学歴の若い世代に影響を与えた。ダットやイエングデはその世代に属する[31]
  11. ^ プレームチャンドの『人生の広場』は、ダリトがヒンドゥー教寺院で自由に出入りする場面などがあり、現実と異なると批判されている。プレームチャンドはのちの作品で、より厳しい現実を描くようになった。『屍衣』は階層社会が人間性を破壊するテーマの作品だが、チャマール・カーストの親子が怠け者として描かれている点が非難された[33]
  12. ^ ヒンドゥー・ナショナリズムによるダリトへの虐待や暴力は、ナレンドラ・モディ政権以降に顕著となっている。アムネスティによれば、インドでは2016年以降にマイノリティへの憎悪犯罪が増えている。インド政府の公式統計では指定カーストや指定トライブへの犯罪は2015年から増えている。インドのレイプ事件の件数は2016年から2019年に減少したが、ダリト女性へのレイプ被害は増加している[40]

出典

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  1. ^ a b c 小磯 2016, p. 68.
  2. ^ 鈴木 2024, p. 121.
  3. ^ a b 志賀 2013, p. 18.
  4. ^ 小川 2015, p. 151.
  5. ^ 粟屋, 太田, 水野編 2021, p. 281.
  6. ^ a b c 粟屋, 太田, 水野編 2021, p. Ⅳ.
  7. ^ a b c 粟屋, 太田, 水野編 2021, pp. 266–267.
  8. ^ 小磯 2016, p. 64.
  9. ^ 小磯 2016, p. 67.
  10. ^ a b 萩田, 石田 2015, pp. 263–264.
  11. ^ a b 萩田, 石田 2015, pp. 259–260.
  12. ^ 井坂 2009, pp. 189–190.
  13. ^ 鈴木 2024, p. 133.
  14. ^ a b 鈴木 2024, p. 127.
  15. ^ a b c 粟屋, 太田, 水野編 2021, pp. 281–282.
  16. ^ a b c 鈴木 2024, pp. 77–78.
  17. ^ 舟橋, 鈴木 2015, pp. 27.
  18. ^ a b 萩田, 石田 2015, p. 263.
  19. ^ a b 萩田, 石田 2015, p. 269.
  20. ^ a b 萩田, 石田 2015, p. 264.
  21. ^ 粟屋, 太田, 水野編 2021, p. 282, 284.
  22. ^ 粟屋, 太田, 水野編 2021, p. 339.
  23. ^ 萩田, 石田 2015, p. 265.
  24. ^ 粟屋, 太田, 水野編 2021, p. 282.
  25. ^ 粟屋 2015, pp. 187–188.
  26. ^ 鈴木 2024, p. 119.
  27. ^ 萩田, 石田 2015, pp. 265–266.
  28. ^ 粟屋, 太田, 水野編 2021, p. 364.
  29. ^ 粟屋, 太田, 水野編 2021, pp. 350–351.
  30. ^ a b 萩田, 石田 2015, p. 266.
  31. ^ 鈴木 2024, pp. 220–224.
  32. ^ 鈴木 2024, pp. 198–200.
  33. ^ 萩田, 石田 2015, pp. 260–261, 266–267.
  34. ^ 萩田, 石田 2015, pp. 266–267.
  35. ^ a b 萩田, 石田 2015, pp. 264–265.
  36. ^ 粟屋 2015, p. 187.
  37. ^ a b 鈴木 2024, pp. 206–207.
  38. ^ 『燃え上がる記者たち』報道現場のダリット女性たち(ミーナ・ヴァルマ)”. 反差別国際運動(IMADR). 2024年5月8日閲覧。
  39. ^ 映画評論 第5回 こんなドキュメンタリー映画が見たかった 『燃えあがる女性記者たち』(ミツヨ・ワダ・マルシアーノ)”. 京都大学新聞 (2023年11月). 2024年5月8日閲覧。
  40. ^ 鈴木 2024, pp. 202–207.

参考文献

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  • 粟屋利江, 井坂理穂, 井上貴子 編『現代インド5 周縁からの声』東京大学出版会、2015年。 
    • 舟橋健太, 鈴木真弥『現代ダリト運動の射程――「エリート」の台頭と意義』。 
    • 粟屋利江『フェミニズムとカーストの不幸な関係?――ダリト・フェミニズムからの提起』。 
    • 萩田博, 石田英明『マイノリティ文学からの発信』。 
  • 粟屋利江太田信宏水野善文言語別南アジア文学ガイドブック』東京外国語大学拠点南アジア研究センター、mar 2021、1-425頁。doi:10.15026/100314https://hdl.handle.net/10108/1003142022年12月13日閲覧 
  • 井坂理穂「M.K.ガーンディーとグジャラートの言語・文学」『アジア・アフリカ地域研究』第8巻第2号、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科、2009年3月、177-194頁、ISSN 21889104NAID 1300075350812022年9月3日閲覧 
  • 小川道大「テーマ別セッションI マハーラーシュトラ州におけるダリトの実像 ―その社会的・歴史的多様性―」『南アジア研究』第2015巻第27号、日本南アジア学会、2015年12月、151-156頁、2022年9月3日閲覧 
  • 小磯千尋「中世バクティ詩人にみる浄・不浄観」『金沢星稜大学人文学研究』第1巻第1号、金沢星稜大学、2016年、59-69頁、2022年9月3日閲覧 
  • 志賀美和子「非バラモン運動における平等言説と「不可触民」 : 普遍化と独自性をめぐるディレンマ」『専修大学人文科学研究所月報』第267巻、専修大学人文科学研究所、2013年12月、17-41頁、ISSN 038786942022年9月3日閲覧 
  • 鈴木真弥『カーストとは何か インド「不可触民」の実像』中央公論新社〈中公新書〉、2024年。 

関連文献

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  • 鈴木真弥『現代インドのカーストと不可触民:都市下層民のエスノグラフィー』慶應義塾大学出版会、2015年。 
  • 増木優衣『ヴァールミーキはどこへ行けばよいのか 現代インドの清掃人カースト差別と公衆衛生の民族誌』春風社、2023年。 

関連項目

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