ダラー・サラー
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名前 | ||||||
本名 | ダラー・サラー | |||||
ラテン文字 | Dollah Salleh | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | マレーシア | |||||
生年月日 | 1963年10月10日(61歳) | |||||
出身地 | ムラカ州 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1985-1986 | ジョホールFA | 25 | (12) | |||
1987-1990 | セランゴールFA | 76 | (39) | |||
1991-1996 | パハンFA | 125 | (76) | |||
1997 | マラッカ・ユナイテッドFA | 19 | (9) | |||
1998 | ヌグリ・スンビランFA | 12 | (7) | |||
代表歴 | ||||||
1985-1996 | マレーシア | 97 | (48) | |||
マレーシア フットサル | ||||||
監督歴 | ||||||
2003-2004 | MPPJ FC | |||||
2005-2008 | セランゴールFA | |||||
2008-2009 | シャーザン・ムダFC | |||||
2009-2013 | パハンFA | |||||
2014 | PDRM FA | |||||
2014-2015 | マレーシア | |||||
2015-2016 | プルリスFA | |||||
2017- | パハンFA | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ダラー・サラー(マレー語: Dollah Salleh、1963年10月10日 - )は、マレーシアの元サッカー選手、サッカー指導者。元サッカーマレーシア代表、元フットサルマレーシア代表。現役時代のポジションはFW。
ダラーは名前(個人名)、サラーは父称(の一部)である。
概要
[編集]1980年代から1990年代にかけてのマレーシア有数のサッカー選手で、ザイナル・アビディン・ハッサンとの連携でよく知られていた。
監督としてはマレーシア代表を2014年から2015年にかけて率いたものの、アラブ首長国連邦代表戦で10-0の大敗を喫し、辞任を余儀なくされた。
クラブ歴
[編集]1982年に当時セミプロフェッショナルのチームであったジョホールFAでサッカー選手となった。
1987年にセランゴールFAに移籍すると、ハッサン・サニとジェームズ・ウォンのコンビ時代以来のストライカー二頭時代となった。彼とザイナル・アビディン・ハッサンはセランゴールFAでも代表でもコンビを組んだ。
1991年には二人ともにパハンFAに移籍。隣国シンガポールのスター、ファンディ・アマドも相俟ってドリームチームと呼ばれるメンバーとなり、1992年にはリーグ、マレーシアカップともに制覇した。
その後1997年にマラッカ・ユナイテッドFAに移籍、翌1998年にはヌグリ・スンビランFAに移籍し選手生命を終えた。
代表歴
[編集]代表としては1989年の東南アジア競技大会で金メダルを獲得している他、1993年のムルデカ大会でも韓国代表を3-1で下し優勝している。その他、第一回の東南アジアサッカー選手権にも出場したが、惜しくも決勝戦でタイ代表に敗北した。
また、フットサルマレーシア代表としても出場経験があり、1996 FIFAフットサル世界選手権のメンバーであった[1]。
監督歴
[編集]サッカー選手引退後は、2003年にMPPJ FCで監督となった。この年にマレーシアカップでサバFAを3-0で破る快挙を成し遂げた。翌年にはスルタン・ハジ・アフメド・シャー・カップ及びマレーシア・プレミアリーグを制覇した。
2005年にはセランゴールFAと長期契約を結んだ。この年には同クラブはマレーシア・プレミアリーグ、ピアラFAマレーシア、マレーシアカップを制覇しトレブルを達成した。しかし、2005-06シーズンにはタイトルを一つも獲得できなかった。しかしセランゴールFAは彼を放出せず、翌2007-08シーズンにはピアラFAマレーシア、マレーシアカップ共に決勝まで行ったものの、共にケダFAに敗北し、タイトルを取り戻す事は出来なかった。この失敗によって彼はセランゴールFAから放出された。
翌2009シーズンにはかつてのパートナー、ザイナル・アビディン・ハッサンと再びコンビを組み、コーチと監督と云う立場でシャーザン・ムダFCに着任した。
しかしシーズンの半ばで彼はタジュディン・ノールの後継としてパハンFAに移籍した[2]。パハンFAでのマレーシアカップの成績が良かったため、2014シーズンはPDRM FAで指揮を執る事になった。PDRM FAはこの年にマレーシア・プレミアリーグを制覇し、クラブをマレーシア・スーパーリーグに昇格させる事に成功した。
2014年6月にはサッカーマレーシア代表の監督に2年契約で就任した[3]。2014 AFFスズキカップではマレーシアを二位に導いたものの、2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選のホームで迎えたパレスチナ代表戦での0-6での大敗、親善試合のオマーン代表戦での6-0の大敗、更に東ティモール代表、バングラデシュ代表、香港代表戦での引分と云う惨憺たる結果に多くの批難を浴びた。決定打となったのはアラブ首長国連邦代表戦での10-0の惨敗であり[4]、2015年9月3日に辞任する事となった[5][6]。
タイトル
[編集]選手
[編集]クラブ
[編集]- ジョホールFA
- マレーシアカップ: 1985
- スルタン・ハジ・アフメド・シャー・カップ: 1986
- セランゴールFA
- マレーシアリーグ: 1989, 1990
- スルタン・ハジ・アフメド・シャー・カップ: 1987, 1990
- パハンFA
- マレーシアリーグ: 1992, 1995
- マレーシアカップ: 1992
- スルタン・ハジ・アフメド・シャー・カップ: 1992, 1993
代表
[編集]- マレーシア
監督
[編集]- MPPJ FC
- マレーシアカップ: 2003
- マレーシア・プレミアリーグ: 2004
- スルタン・ハジ・アフメド・シャー・カップ: 2004
- セランゴールFA
- マレーシア・プレミアリーグ: 2005
- ピアラFAマレーシア: 2005
- マレーシアカップ: 2005
- パハンFA
- マレーシア・プレミアリーグ
- 準優勝: 2012
- マレーシアカップ: 2013
- PDRM FA
- マレーシア・プレミアリーグ: 2014
- マレーシア
- 準優勝:2014
参考文献
[編集]- ^ “Team Malaysia”. FIFA (1996年). 14 November 2013閲覧。
- ^ “Pahang FA”. The Star (1996年). 17 January 2009閲覧。
- ^ http://www.goal.com/en-my/news/3896/malaysia/2014/06/30/4924001/dollah-salleh-appointed-the-new-head-coach-of-harimau-malaya
- ^ Ooi Kin Hai (4 September 2015). “Battered, bruised and embarrassed: Malaysia's qualifying horror show”. fourfourtwo. 15 January 2016閲覧。
- ^ “Dollah Salleh: I quit”. the star (4 September 2015). 15 January 2016閲覧。
- ^ Seng-Foo Lee (4 September 2015). “Breaking News: Dollah Salleh steps down as Malaysia coach”. fourfourtwo. 15 January 2016閲覧。