ダミアン・マンソ
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名前 | ||||||
本名 |
ダミアン・アレハンドロ・マンソ Damián Alejandro Manso | |||||
愛称 | El Piojo(シラミ) | |||||
ラテン文字 | Damián MANSO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アルゼンチン | |||||
生年月日 | 1979年6月6日(45歳) | |||||
出身地 | ロサリオ | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 62kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (OMF) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1992-1996 | ニューウェルズ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-2005 | ニューウェルズ | 188 | (15) | |||
2001-2002 | → バスティア (loan) | 22 | (1) | |||
2003-2004 | → インデペンディエンテ (loan) | 25 | (1) | |||
2006-2007 | クサンティ | 27 | (1) | |||
2007-2009 | LDUキト | 55 | (5) | |||
2009-2010 | パチューカ | 51 | (11) | |||
2011 | チアパス | 13 | (1) | |||
2011 | モレリア | 9 | (1) | |||
2012 | LDUキト | 19 | (1) | |||
2012 | アル・ナスル | 6 | (0) | |||
2013 | クエンカ | 23 | (4) | |||
2013-2014 | ニューウェルズ | 4 | (0) | |||
2014-2016 | チャカリタ | 71 | (5) | |||
2017-2019 | JJウルキーサ | 7 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2018年12月4日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ダミアン・アレハンドロ・マンソ(Damián Alejandro Manso, 1979年6月6日 - )は、アルゼンチン、ロサリオ出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
来歴
[編集]1996年、16歳でプロデビュー。技術力が高く、将来を嘱望されていた若手の一人だった。2001年には欧州移籍を果たすが、怪我もあり思ったような活躍はできず、その後は国内リーグに戻りプレーした。2007年にエクアドルのLDUキトに移籍すると、同年にリーグ優勝、翌年にはエクアドル勢として初のリベルタドーレス杯優勝に貢献し、FIFAクラブワールドカップ2008にも出場した。
CFパチューカでもFIFAクラブワールドカップ2010に出場したものの、出場した2試合では満足な活躍をする事は出来ずチームも5位決定戦に勝利しただけとなってしまった。
2016年末を以てCAチャカリタ・ジュニアーズを退団。半年間フリーの状態が続いたが、2017年8月14日にプリメーラC(アルゼンチン4部)のASDフスト・ホセ・デ・ウルキーサへ加入することが発表された[1]。
タイトル
[編集]- ニューウェルズ
- プリメーラ・ディビシオン : 2004アペルトゥーラ
- LDUキト
- プリメーラ・カテゴリア・セリエA : 2007
- コパ・リベルタドーレス : 2008
- パチューカ
- CONCACAFチャンピオンズリーグ 2009-10
エピソード
[編集]- 愛称のピオホ(piojo)はスペイン語で「のみ、しらみ」の意味。アルゼンチンでは小柄な子供に付けられるポピュラーなあだ名であり、同じ愛称を持つ選手としてはクラウディオ・ロペスが有名である。
- FIFAクラブワールドカップ2008ではLDUキトのキーマンとして紹介され、パチューカ戦では前評判通りの動きを見せた。解説を務めた武田修宏は「彼ほどの選手でも代表になれないアルゼンチンは凄い」と発言している。
- 現地メディアに「彼の声を聞いたことが無い」と評されるほど寡黙な性格である。
脚注
[編集]- ^ “Damián Manso firmó con J.J. Urquiza”. TyC Sports (2017年8月14日). 2017年10月21日閲覧。
外部リンク
[編集]- Goal.comによるプロフィール
- ダミアン・マンソ Transfermarktによるプロフィール
- ダミアン・マンソ - Soccerwayによる個人成績