ダブリン伯爵
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ダブリン伯爵(ダブリンはくしゃく、英語: Earl of Dublin)は、アイルランド王国と連合王国の伯爵位。アイルランド貴族として2度、連合王国貴族として1度創設された。
歴史
[編集]1766年10月22日、ウェールズ公爵フレデリック・ルイス(1707-1751)の四男ヘンリー王子はアイルランド貴族であるダブリン伯爵とグレートブリテン貴族であるカンバーランド=ストラサーン公爵に叙された[1]。しかし、妻との間で息子をもうけず、1790年9月18日に病死すると爵位は廃絶した[1]。
1799年4月23日、ジョージ3世(1738-1820)の四男エドワード王子(1767-1820)はアイルランド貴族であるダブリン伯爵とグレートブリテン貴族であるケント=ストラサーン公爵に叙された[2]。しかし妻との間で息子をもうけず、1820年1月23日に病死すると爵位は廃絶した[3]。
1849年9月10日、ヴィクトリア女王(1819-1901)の長男であるウェールズ公アルバート・エドワード王子は連合王国貴族であるダブリン伯爵に叙された[4]。1901年にアルバート・エドワード王子がエドワード7世として連合王国国王に即位すると、爵位は王領に統合された。
ダブリン伯爵(第1期、1766年)
[編集]→詳細は「カンバーランド=ストラサーン公爵」を参照
- カンバーランド=ストラサーン公爵・初代ダブリン伯爵ヘンリー王子(1745年 – 1790年)
ダブリン伯爵(第2期、1799年)
[編集]→詳細は「ケント=ストラサーン公爵」を参照
- ケント=ストラサーン公爵・初代ダブリン伯爵エドワード王子(1767年 – 1820年)
ダブリン伯爵(第3期、1849年)
[編集]- ウェールズ公爵・初代ダブリン伯爵アルバート・エドワード王子(1841年 – 1910年)
- 1901年、エドワード7世として連合王国国王に即位、爵位は王領に統合された。
出典
[編集]- ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 573–574.
- ^ "No. 15126". The London Gazette (英語). 20 April 1799. p. 372.
- ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 183–184.
- ^ "No. 21018". The London Gazette (英語). 11 September 1849. p. 2783.