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ダニエラ・イラシュコ=シュトルツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダニエラ・イラシュコ=シュトルツ
基本情報
フルネーム Daniela Iraschko-Stolz
誕生日 (1983-11-21) 1983年11月21日(41歳)
出身地 オーストリアの旗 オーストリア
 オーストリアシュタイアーマルク州
選手情報
クラブ WSV Eisenerz-Steiermark
使用メーカー フィッシャー
ワールドカップ
シーズン 2011年 -
優勝回数 16回
他の表彰台 34回
表彰台獲得数 50回
獲得メダル
オリンピック
2014 ソチ ノーマルヒル個人
ノルディックスキー世界選手権
2011 オスロ ノーマルヒル個人
2021 オーベルストドルフ 女子団体
2017 ラハティ 混合団体
2019 ゼーフェルト 混合団体
2019 ゼーフェルト 女子団体
2015 ファールン ノーマルヒル個人
2019 ゼーフェルト ノーマルヒル個人
2021 オーベルストドルフ 混合団体
スキージャンプ・ワールドカップ
2014/15シーズン 総合成績
2011/12シーズン 総合成績
2015/16シーズン 総合成績
スキージャンプ・コンチネンタルカップ
2009/10シーズン 総合成績
2010/11シーズン 総合成績
2011/12シーズン 総合成績
最終更新日:2019年3月25日
テンプレートを表示
ダニエラ・イラシュコ=シュトルツ
名前
ラテン文字 Daniela Iraschko-Stolz
基本情報
国籍  オーストリア
生年月日 (1983-11-21) 1983年11月21日(41歳)
出身地  オーストリア シュタイアーマルク州
選手情報
在籍チーム FCヴァッカー・インスブルック (女子)
ポジション ゴールキーパー
背番号 21
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダニエラ・イラシュコ=シュトルツ (Daniela Iraschko-Stolz、1983年11月21日 - ) は、オーストリアシュタイアーマルク州レオーベン郡エイゼンエルツ出身のスキージャンプ選手、元サッカー選手。

プロフィール

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女子ジャンプの国際大会が始まった1999年から、常にトップクラスの成績を残している選手である。15歳で参加した第1回のFISグランドツアー(またはFISレディースグランプリ)で総合3位となり、翌2000年からは総合3連覇、2003年も1試合を欠場したため総合9位となるも、出場試合は個人戦3戦を全勝している。新設されたスキージャンプ・コンチネンタルカップの一部として開催された2005年と2010年にも総合優勝を達成している。2003年1月29日にバート・ミッテルンドルフ・クルムで行われたフライングの公式練習で、史上初めて200m飛んだ女性となった。

2004年、2005年には日本の宮様スキー大会で優勝 (2009年にも優勝) するなど、日本との縁も深い。

2004-05シーズンから始まったスキージャンプ・コンチネンタルカップでは、2015-16シーズン終了時点で通算47勝、2009-10シーズンと2010-11シーズンに連続して総合優勝している。

 チェコリベレツで開催された2009年ノルディックスキー世界選手権で、初めて正式種目となったノーマルヒル女子に優勝候補の一人として出場したが、メダルには届かず4位に終わった。

2010-11シーズンは絶好調で冬に入ってから16戦10勝2位5回だったが世界選手権直前にザコパネの試合で転倒して右膝を痛めた[1]。しかしリハビリを重ねて2011年ノルディックスキー世界選手権に出場、怪我の影響を感じさせず金メダルを獲得した[2]。2011年1月からオーストリア連邦警察のトップ選手として4年間のトレーニングを始めた[3]

女子ジャンプ初のオリンピックとなった2014年ソチオリンピックでは、銀メダルを獲得した。

2014-15年シーズンではワールドカップで5勝を挙げ、総合優勝となった。これによって女子スキージャンプの当時の最高カテゴリ (FISレディースグランプリ、コンチネンタルカップ、ワールドカップ) の総合タイトルすべてを獲得したことになる[注 1]世界選手権では個人銅メダルを獲得し、混合団体は4位だった。

2015-16年シーズンはワールドカップで2勝を含む11度表彰台に立ち、総合2位となった。

2016-17年シーズンはワールドカップで4度表彰台に立ったものの1勝もできず、総合6位に終わった。ラハティ世界選手権では個人9位、混合団体で銀メダルを獲得した。

2017-18年シーズンは夏に膝を手術したため出遅れたが、2018年1月28日、復帰2戦目の第14戦リュブノで2シーズンぶりに優勝した。自身2度目のオリンピックとなった平昌五輪はメダルには届かず6位に終わった。総合7位でシーズンを終えた。

2018-19年シーズンは開幕からワールドカップに出場し続け、日本ラウンドの札幌、蔵王の各1勝を含む3度表彰台に入り1月27日の個人第11戦ルシュノヴ ( ルーマニア)終了時点で総合4位につけたが、翌週の地元オーストリアの第12戦ヒンツェンバッハ ( オーストリア) の予選で49位に終わり本戦出場を逃すと地元開催の世界選手権までのワールドカップ全試合を欠場した。世界選手権では個人銅メダルを獲得し、女子団体と混合団体で銀メダルを獲得した。世界選手権直後のワールドカップ個人第18戦オスロで優勝したが、同試合はホルメンコーレン大会に含まれており、ホルメンコーレンスキー大会での優勝は2004年以来であり、女子ワールドカップに含まれてからは自身初であった。個人第19戦リレハンメル、個人第20戦トロンヘイムはともに4位であり、オスロからトロンヘイムまでの3連戦の予選・本戦の成績で争われる女子版Raw Air総合4位に入り、ワールドカップの残り試合は欠場し総合8位でシーズンを終えた。

一方、サッカーではゴールキーパーとしてFCヴァッカー・インスブルックの女子チームに2017年夏まで所属していた[4]

私生活

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  • レズビアンであることを公表しており、2013年に女性のパートナーと結婚した[5]
  • 好きな色はピンクと公言[6]しており、髪をピンクに染めているほどである。

主な成績

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冬季オリンピック

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ノルディックスキー世界選手権

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FISワールドカップ

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個人総合成績
シーズン 総合 優勝 準優勝 3位
2011/12 02位 2回 2回 3回
2012/13 10位 1回 1回 2回
2013/14 05位 2回 4回 0回
2014/15 優勝 5回 4回 1回
2015/16 02位 2回 8回 1回
2016/17 06位 0回 3回 1回
2017/18 07位 1回 3回 0回
2018/19 08位 3回 0回 1回
合計 --- 16回 25回 9回
ワールドカップ個人勝利
シーズン 開催日 開催地 ヒルサイズ 成績
2011/12 2月4日 オーストリアの旗 ヒンツェンバッハ 94 優勝(1)
2月5日 優勝(2)
2012/13 12月9日 ロシアの旗 ソチ 106 優勝(3)
2013/14 1月25日 スロベニアの旗 プラニツァ 95 優勝(4)
1月26日 優勝(5)
2014/15 1月24日 ドイツの旗 オーベルストドルフ 106 優勝(6)
1月25日 優勝(7)
1月31日 オーストリアの旗 ヒンツェンバッハ 94 優勝(8)
2月7日 ルーマニアの旗 ルシュノヴ 100 優勝(9)
2月15日 スロベニアの旗 リュブノ 95 優勝(10)
2015/16 12月12日 ロシアの旗 ニジニ・タギル 97 優勝(11)
2月14日 スロベニアの旗 リュブノ 95 優勝(12)
2017/18 1月28日 スロベニアの旗 リュブノ 95 優勝(13)
2018/19 1月12日 日本の旗 札幌 137 優勝(14)
1月18日 日本の旗 蔵王 102 優勝(15)
3月10日 ノルウェーの旗 オスロ 134 優勝(16)

その他の国際大会

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個人総合成績
シーズン 総合 優勝 準優勝 3位
2004/05 3位 3回 2回 0回
2005/06 7位 0回 1回 0回
2006/07 4位 0回 5回 4回
2007/08 2位 3回 4回 2回
2008/09 2位 5回 3回 2回
2009/10 優勝 13回 4回 0回
2010/11 優勝 16回 5回 0回
2011/12 優勝 5回 3回 1回
2013/14 3位 1回 1回 0回
合計 --- 46回 28回 9回
個人総合成績
シーズン 総合 優勝 準優勝 3位
1999 3位 0回 0回 3回
2000 優勝 3回 1回 0回
2001 優勝 3回 0回 0回
2002 優勝 2回 1回 0回
2003 9位 3回 0回 0回
2004 4位 0回 0回 2回
2005 優勝 1回 2回 0回
2006 8位 0回 0回 0回
2007 4位 0回 1回 1回
2008 5 位 0回 0回 0回
2010 優勝 2回 1回 0回
2011 2位 2回 3回 0回
合計 --- 16回 9回 6回

出典

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脚注

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  1. ^ この記録は2015年のアネッテ・サーゲンの引退により、他の選手では達成できない記録となっている。

外部リンク

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