ダイラケ二等兵
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ダイラケ二等兵 | |
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ジャンル | コメディ番組 |
脚本 | 香川登志緒 |
演出 |
井尻益次郎 澤田隆治 |
出演者 |
中田ダイマル・ラケット 藤田まこと 川上のぼる 秋山右楽・左楽 |
製作 | |
制作 | 朝日放送 |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
月曜夕方時代 | |
放送期間 | 1960年2月1日 - 1961年1月2日 |
放送時間 | 月曜 18:15 - 18:45 |
放送分 | 30分 |
火曜ゴールデンタイム時代 | |
放送期間 | 1961年1月3日 - 1961年3月7日 |
放送時間 | 火曜 19:00 - 19:30 |
放送分 | 30分 |
月曜ゴールデンタイム時代 | |
放送期間 | 1961年3月 - 1961年7月10日 |
放送時間 | 月曜 21:15 - 21:45 |
放送分 | 30分 |
『ダイラケ二等兵』(ダイラケにとうへい)は、1960年2月1日から1961年7月10日までKRT→TBS系列局で放送されていた朝日放送製作のコメディ番組である。ロート製薬の一社提供。
概要
[編集]軍隊をテーマにした公開コメディで、同じく朝日放送製作の『ダイラケのびっくり捕物帖』にも出演していた中田ダイマル・ラケット(以下ダイラケ)が主役を務めていた。また、無名時代の藤田まことが上官役で出演していた。
脚本担当は、朝日放送ラジオのダイラケ出演番組『すかたん社員』を担当していた香川登志緒で、香川にとってはこれがテレビ初担当番組となった。また、香川および演出担当の澤田隆治は、同じく朝日放送製作のダイラケ出演番組『スチャラカ社員』も担当していた。
本番組は、TBS系列では初のロート製薬提供番組となった。ロート製薬はその後も、1993年9月に『クイズテレビずき!』が終了するまで33年以上にわたってTBS系列放送番組の一社提供を続けていた。
放送時間
[編集]いずれも日本標準時。
- 月曜 18:15 - 18:45 (1960年2月1日 - 1961年1月2日)
- 火曜 19:00 - 19:30 (1961年1月3日 - 1961年3月7日)
- 月曜 21:15 - 21:45 (1961年3月12日[疑問点 ] - 1961年7月10日)
主な出演者
[編集]スタッフ
[編集]コミカライズ
[編集]番組放送当時、講談社の月刊誌『ぼくら』に前谷惟光によるコミカライズ作品が連載されていた。
参考文献
[編集]外部リンク
[編集]関連項目
[編集]- ダイラケのびっくり捕物帖 - 朝日放送テレビ部門前身の大阪テレビと同社合併後の朝日放送で放送されていたダイラケ出演番組。
- スチャラカ社員 - 同じく朝日放送で放送されていたダイラケ出演番組で、スタッフも同じメンバー。
- 二等兵物語 - この番組のモデルとなった戦争映画。
KRT→TBS系列 月曜18:15枠 【本番組の放送期間中のみロート製薬一社提供枠】 |
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
まんが大会
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ダイラケ二等兵
(1960年2月1日 - 1961年1月2日) |
ロボッタン
(1961年2月6日 - 1961年12月25日) |
TBS系列 火曜19:00枠 【本番組の放送期間中のみロート製薬一社提供枠】 |
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そんなとき私は
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ダイラケ二等兵
(1961年1月3日 - 1961年3月7日) |
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TBS系列 月曜21:15枠 【本番組からロート製薬一社提供枠】 |
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ミュージックホール
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ダイラケ二等兵
(1961年3月 - 1961年7月10日) |
月曜日の男
(1961年7月17日 - 1961年9月25日) |