タドグ・マク・ブリアン
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タドグ・マク・ブリアン (アイルランド語: Tadc/Tadg mac Brian、1023没) はマンスター王ブリアン・ボルーヴァとその妻の一人 Uí Áeda Odba 族の Carlus mac Ailella の娘である Echrad との間の息子[1]。 タドグは彼の妻であるケネール・ヴィアハハ (Cenél Fiachach) 族の Gilla Brigte Ua Maíl Muaid の娘 モール との間に一男・Toirdelbach Ua Briain (英語: Turlough O'Brien) を儲けた[2]。
1014年のクロンターフの戦いにおけるブリアン・ボルーヴァの没後タドグの異母弟ドンハズがマンスター王位を獲得すると、これに対抗してタドグは自身のマンスター王としての正当性を繰り返し主張し、レンスター王であるディアルマド (Diarmait mac Máel na mBó)に保護と後援を頼んだ[3]。 最終的にはドンハズの扇動により、1023年タドグは暗殺された[4]。
参考文献
[編集]- ^ Duffy, Seán (2004年). “Brian Bóruma (Brian Boru) (c.941–1014)”. Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press. 24 February 2010閲覧。
- ^ Bracken, Damian (2004), “Ua Briain, Toirdelbach [Turlough O'Brien] (1009–1086)”, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford: Oxford University Press 2008年3月6日閲覧。
- ^ 『オックスフォードブリテン諸島の歴史3』 p.34
- ^ Bracken, Damian (2004年). “Mac Briain, Donnchad (d. 1064)”. Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press. 6 March 2008閲覧。