タイチュ (イェヘナラ氏)
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名称表記 | |
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満文 | ᡨ᠋᠊ᠠᡳᠴᡠ |
転写 | taicu |
漢文 |
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生歿即位 | |
出生年 | 不詳 |
即位年 | 不詳 |
死歿年 | 不詳 |
血筋(主要人物) | |
父 | チュクンゲ(塔魯木衛[1]都督僉事) |
子 | チンギヤヌ(初代イェヘ西城主) |
子 | ヤンギヌ(初代イェヘ東城主) |
タイチュはイェヘナラ氏女真人。イェヘ部主・チュクンゲの子、初代イェヘ国主・チンギヤヌおよびヤンギヌ兄弟の父。
素性
[編集]タイチュに就いては、一族との関係性を除いて委細な記載は遺っていない。学者の王冬芳は『明世宗實錄』(巻459) に登場する「台出」なる人物をタイチュとみている。[2]なお、『明世宗實錄』中の「台出」に関する記事は以下の二つが確認できる。
嘉靖31 (1552) 年旧暦9月21日 (巻389):
○庚子、海西ノ……阿刺衞ノ指揮僉事・台出……各(おのおの)勅書ヲ洗改シ、都指揮ノ例ヲ以テ賞ヲ得タリケリ。邊吏失察セリ。詔シテ副總兵・岳懋等ノ俸三月ヲ奪ヒ、……
嘉靖37 (1558) 年旧暦5月13日 (巻459):
○海西夷ノ都督・王台等、紫河堡デ邊ヲ盜ミタル夷酋・台出(/台州)等、及ビ掠ムル所ヲ執ヘ、來リテ獻リケリ。因リテ其ノ部下ノ爲ニ陞賞ヲ求メケリ。上其ノ忠順ヲ嘉シ、之ヲ許シケリ……
仮にこの二つを同一人物とする場合、巻389の記事に「阿剌衞[3][4]指揮僉事」とある為、父・チュクンゲの治めた塔魯木衛[1]にはいなかったということになる。なお、道光年間に編纂された『葉赫那蘭氏八旗族譜』ではチンギヤヌ、ヤンギヌ兄弟をタイチュの弟・台坦住の息子、即ちタイチュの甥としている。
子孫
[編集]- 子・チンギヤヌ:初代イェヘ西城主。
- 孫・ブジャイ:二代イェヘ東城主。
- 子・ヤンギヌ:初代イェヘ東城主。
- 孫・ナリムブル:二代イェヘ東城主。
- 娘・温姐:初代ハダ国主・ワンの妻妾。後にワンの私生子・カングルが娶った。
脚註
[編集]参照
[編集]史籍
[編集]- 徐階, 張居正『明世宗肅皇帝實錄』1577 (漢文) *中央研究院歴史語言研究所版
- 愛新覚羅・弘昼, 西林覚羅・鄂尔泰, 富察・福敏, (舒穆祿氏)徐元夢『八旗滿洲氏族通譜』四庫全書, 1744 (漢文) *Wikisource版
- 章佳・阿桂, 于敏中, 鈕祜祿・和珅, 董誥『滿洲源流考』四庫全書, 1778 (漢文)
- 編者不詳『滿洲實錄』四庫全書, 1781 (漢文)
- 趙爾巽, 他100余名『清史稿』巻223, 清史館, 1928 (漢文) *中華書局版
研究書
[編集]- 王冬芳『大清国的由来与去向 王冬芳文集』「叶赫部首领逞加奴兄弟的兴衰」社会科学文献出版社, 2013 (中国語) *维基百科より引用。