ソ連鉄道人民委員部AA20形蒸気機関車
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ソ連国鉄AA20形蒸気機関車 | |
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試運転中のAA20形 | |
基本情報 | |
運用者 | ソ連運輸通信省(ソ連国鉄) |
製造年 | 1934年 |
製造数 | 1両 |
主要諸元 | |
軸配置 | 2G2 |
軌間 | 1,520mm |
全長 | 33,700mm |
機関車重量 | 206t |
動輪径 | 1,550mm |
シリンダ (直径×行程) | 740mm × 810mm |
ボイラー圧力 | 17kg/cm2 |
火格子面積 | 14.0 m2 |
燃料 | 石炭 |
備考 | 数値は[1]に基づく。 |
AA20形(ロシア語: АА20)は、1934年にソ連鉄道人民委員部が試作した蒸気機関車。関節式機関車やデュープレックス式機関車を除き、史上最多の動輪数(7軸)を持つ蒸気機関車であった[1]。
概要
[編集]最大軸重20tという制限があるソ連の線路上で、3,000tの石炭列車を単機で牽引するという計画のため試作された車両。低品質の石炭を使用するため燃焼用の長大なボイラーが必要となった事から、軸重制限を超えないようにするため動輪数が7軸となった。曲線通過時の対策のため第3~5軸をフランジレスにする、一部の連結棒を自在継手にするなどの工夫が取られていた[1]。
なお形式名のうち「AA」はソ連の政治家でありAA20形の製造に協力したアンドレイ・アンドレーエフ(Андре́й Андре́евич Андре́ев)に由来し、「20」は最大軸重(20t)を指す。
運用
[編集]製造後は試運転が実施されたものの、曲線走行時にレールに対する横圧が大きく、ポイントを破損するなどの被害が生じた。更に機関車そのものの巨大さ故に転車台に乗せる事が出来ず、車庫への保管も出来なかった。その結果、AA20形の開発は中止となった[1]。
その後は僅か1年の運用の後1935年をもって使用が中止された。以降は25年以上にわたり側線に留置され、1960年頃に解体された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 久保田博『蒸気機関車のすべて』グランプリ出版、1999年3月。ISBN 4-87687-201-5。