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ソーリュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Saulieu



地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏
(département) コート=ドール県
(arrondissement) モンバール郡
小郡 (canton) スミュール=アン=オーソワ小郡
INSEEコード 21584
郵便番号 21210
市長任期 ジャン=フィリップ・メラン
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) Saulieu
人口動態
人口 2413人
2017年
人口密度 75人/km2
住民の呼称 Sédélociens, Sédélociennes
地理
座標 北緯47度16分51秒 東経4度13分46秒 / 北緯47.2808333333度 東経4.22944444444度 / 47.2808333333; 4.22944444444座標: 北緯47度16分51秒 東経4度13分46秒 / 北緯47.2808333333度 東経4.22944444444度 / 47.2808333333; 4.22944444444
標高 平均:?m
最低:394m
最高:596m
面積 32.03km2
Saulieuの位置(フランス内)
Saulieu
Saulieu
公式サイト saulieu.fr
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ソーリューフランス語: Saulieu)はフランスブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏コート=ドール県にあるコミューンパリマルセイユなどをつなぐオートルート (A6)) からやや離れた位置の不便で小さな町であるが、美食と[1]ロマネスク柱頭を伝える聖堂で知られている[2]

歴史

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ソーリューはガロ=ロマン時代から交通の要衝として知られており、宿場町を形成していた[1]。近隣のオータンとの関係はシャルル2世によって発行された843年の書状に記録があり、オータンにソーリューが属す形であったことがわかる[2]。11世紀に建てられた教会堂は位置を変え、また改築により姿は変わったものの、現在もサンタンドッシュ聖堂として現存する[2]。17世紀以降は食通の間で名の知れた街となった[2]。1677年8月26日にこの町に宿泊したセヴィニエ夫人は、食に関して賛辞を書き残している[2]。この時夫人は美食を楽しむことを聖母マリアに許していただこうということで、小さなマリア像を寄贈もしている[1]。広場にある歴史的記念物の噴水は1760年に制作されたもの[3]。1932年に料理人アレクサンドル・デュメーヌが始めたレストラン、「ラ・コート・ドール」は1951年にミシュランガイドの3つ星を獲得した[1]。旧国道6号線が通っていたが、1960年代に開通したオートルート A6はソーリューを外れた経路で設定されたために微妙に不便な町となってしまったものの、美食で客を呼べる町として殊に名前が知られている[1]

人口

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人口の推移は下表のとおり[4]。これ以前(1793年 - 1999年)については社会科学高等研究院 (EHESS) のサイト参照[5]

人口推移
人口±%
20062,643—    
20112,538−4.0%
20162,441−3.8%
ル・ルレ・ベルナール・ロワゾー

名所・旧跡

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サンタンドッシュ聖堂

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サンタンドッシュ聖堂 (Basilique Saint-Andoche) はソーリューの広場に面した場所に建つカトリック教会聖堂ロマネスク建築として分類され[8]柱頭彫刻が知られる[2]サンタンドーシュ聖堂とも表記される。2世紀[9]に殉教した3人の聖人の最後の地を起源としている[2]。3人の聖人とは聖堂の名前にもなっている聖アンドッシュ (Andoche) と、あとは聖イルス (Thyrse)、聖フェリックス (Félix) の2人である[9]。もととなった修道院は8世紀の設立という[8]。11世紀に修道院付属教会堂として建設されたものが、現在の位置に移築されている[2]。1359年に内陣がイギリス軍に放火され、これが修復されるには1704年まで待たねばならなかった[2]フランス革命でも被害を受け、特にファサードがひどく破壊され、しかも19世紀のまずい修復により残念な姿となってしまっている[2]歴史的記念建造物には1840年に指定された[10]

聖堂内部の柱頭はオータン大聖堂英語版(サン・ラザール大聖堂)のそれとの関連が指摘される[11]歴史節で先述したようにオータンの影響下にあったことから、オータンの影響をソーリューが受けた、という流れと考えられる[2]。写実性という点ではソーリューに、優雅さではオータンが軍配が上がるといった評価がなされる[2]

以下にいくつかの柱頭彫刻を紹介する。

姉妹都市

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[13]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 饗庭孝男 編『フランスの中心 ブルゴーニュ 歴史と文化』小沢書店、1998年、265-277頁。ISBN 4-7551-0363-0 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 饗庭 1998, pp. 115–117
  3. ^ Monuments historiques - édifice / site : Fontaine Saint-Andoche”. Ministère de la Culture et de la communication(フランス文化・通信省). 2019年1月20日閲覧。
  4. ^ Populations légales 2016 − Commune de Saulieu (21584)”. INSEE. 2019年1月20日閲覧。 “Population municipale”
  5. ^ Saulieu - Notice Communale”. 社会科学高等研究院 (EHESS). 2019年1月20日閲覧。
  6. ^ 仏3つ星「ラ・コート・ドール」の「世界一の朝食」-志摩のホテルで気軽に”. 伊勢志摩経済新聞. グローブ・データ株式会社. 2019年1月20日閲覧。
  7. ^ Death of a Chef” (英語). ザ・ニューヨーカー. コンデナスト・パブリケーションズ. 2019年1月20日閲覧。
  8. ^ a b Basilique Saint Andoche”. ソーリュー. 2019年1月20日閲覧。
  9. ^ a b Saints Andoche, Thyrse et Félix”. 2019年1月20日閲覧。
  10. ^ Monuments historiques - édifice / site : Eglise Saint-Andoche”. Ministère de la Culture et de la communication(フランス文化・通信省). 2019年1月20日閲覧。
  11. ^ a b c 辻本敬子; ダーリング益代『ロマネスクの教会堂』河出書房新社、2003年、51-54頁。ISBN 4-309-76027-9 
  12. ^ マール,エミール『ロマネスクの図像学』 下、国書刊行会〈中世の図像体系〉、1996年、203-215頁https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN1554267X 
  13. ^ Jumelage”. ソーリュー. 2019年1月20日閲覧。

外部リンク

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