ソユーズ-M
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機能 | 打ち上げ機 |
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製造 | OKB-1 |
開発国 | ソビエト連邦 |
大きさ | |
全高 | 50m |
直径 | 10.3m |
質量 | 300,000kg |
段数 | 2段 |
積載量 | |
LEOへの ペイロード |
6,600キログラム (14,600 lb) |
関連するロケット | |
シリーズ | R-7 |
打ち上げ実績 | |
状態 | 退役 |
射場 | プレセツク宇宙基地 |
総打ち上げ回数 | 8 |
成功 | 8 |
初打ち上げ | 1971年12月27日 |
最終打ち上げ | 1976年3月31日 |
特筆すべきペイロード | ゼニット-4MT |
ソユーズ-M(ロシア語: Союз-М)はソビエト連邦の使いきり型打ち上げ機。GRAUインデックスでは11A511Mとされた。開発はOKB-1が行い、生産はサマーラの第一国家航空工場が行っていた。
このロケットはもともと軍事用有人宇宙計画のソユーズ 7K-V1を打ち上げるため、ソビエト連邦軍向けに製造された。後にこの計画は中止されることになったが、同様の目的を持つソユーズ7K-S計画のためにロケットの開発は続けられた。しかしながら、この計画も最終的にはチェロメイとOKB-52の開発していたTKSに負けてキャンセルされ、ソユーズ-Mのさらなる開発は放棄され、製造されていたロケットはゼニット-4MT偵察衛星の打ち上げのために再利用されることになった[1]。
ソユーズ-Mの正確な詳細は知られていないが、後のソユーズUと類似する、2段式の初代ソユーズの派生型と考えられている[2]。ソユーズ 7K-Sのキャンセルの後、8基がゼニット-4MTの打ち上げに利用された[2]。初打ち上げは1971年12月27日に行われ、1976年3月31日に最後の打ち上げが行われた。打ち上げはすべてプレセツク宇宙基地で行われており、1回目は43/4射点が使われたとされるが、以降の打ち上げに使った発射施設は記録されていない。