コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ソシアルバターフライ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ソシアルバターフライ
欧字表記 Social Butterfly
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1957年4月13日
死没 1977年10月28日(20歳没・旧21歳)
Your Host
Wisteria
母の父 Easton
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ヴァージニア州
生産者 Mrs. M. E. Person
馬主 Llangollen Farm
競走成績
生涯成績 8戦2勝
獲得賞金 5460ドル
テンプレートを表示

ソシアルバターフライ (Social Butterfly) とはアメリカ合衆国生産の競走馬である。1966年繁殖牝馬として日本に輸出され、現地で顕彰馬トウショウボーイなどの活躍馬を送り出した。

全兄にカリフォルニアンステークス、サンフェリペハンデキャップなどアメリカで重賞4勝を挙げたSocial Climberがいる。

経歴

[編集]

アメリカで競走生活を送り2勝を挙げたが重賞勝利はなく、競走馬引退後は同地で繁殖牝馬となり3頭の牝駒[1]を出産している。その後1966年に日本の藤正牧場によって購買され、ほか2頭の繁殖牝馬と共にThe Pie Kingの仔を宿した状態で来日。同牧場で繁殖入りした。

その後出産した牡駒トウショウコルトは競走馬としてのデビュー直前の調教で故障、予後不良となったが、その翌年出産したトウショウピット(父パーソロン)が中山記念関屋記念クモハタ記念と重賞を3勝する活躍を見せ、1972年に産んだ牝馬ソシアルトウショウ(父ヴェンチア)は優駿牝馬 (オークス)で2着に、さらに翌年テスコボーイとの間に出産したトウショウボーイは数々の大レースを制し「天馬」と称され、1970年代を代表する名馬に成長した。しかしトウショウボーイが優駿賞年度代表馬を受賞した翌年の1977年秋、ソシアルバターフライは放牧中に牧柵に激突し、右前脚を骨折。獣医師団による治療が試みられたがやがて蹄葉炎を併発し、10月28日に安楽死の措置が執られた。

血統の影響

[編集]

日本で出産した11頭の産駒のうちオープン馬となったものは5頭、日米で挙げた総勝利数は58に上った。ソシアルトウショウとトウショウボーイは繁殖馬としても群を抜く成績を残している。ソシアルトウショウは4頭の重賞優勝馬の母となり、トウショウボーイは三冠馬ミスターシービーを送り出すなど、輸入種牡馬全盛の時代にあって国産種牡馬のエースとして活躍、中小生産者から「お助けボーイ」と呼ばれるほどの成功を収めた。トウショウボーイ以降に誕生した牡駒はいずれも種牡馬となり、トウショウゲート(父シャトーゲイ)はカブトヤマ記念の優勝馬トウショウユースを、トウショウイレブン(父テスコボーイ)は小倉記念の優勝馬スノージェットを、トウショウルチェー(父ダンディルート)は中山牝馬ステークスの優勝馬ジムクインを輩出し、それぞれ重賞優勝馬の父となっている。ほかソシアルトウショウ以外の牝駒も母・祖母として成功を収め、1970年代から1980年代後半にかけて、ソシアルバターフライ子孫の生産馬がトウショウ牧場の全盛時代を築いた。

しかし1990年代に入り、トウショウ牧場の生産馬はこれらの系統馬の重用が過ぎたために一転して不振を極めた。一時は繋養繁殖牝馬の半数がソシアルバターフライ系牝馬で占められ、良質な種牡馬が全てそれらの牝馬に配合された結果、血統の偏向により生産馬の活力が失れることになった。その影響は、トウショウ牧場長の志村吉男が2005年に受けたインタビューの中で、活躍馬が出なかった主要因として「ソシアルバターフライに固執したこと」と語る[2]ほど顕著なものであった。

繁殖成績(産駒一覧)

[編集]

ソシアルバターフライの主要な系統図

[編集]

牝系図の主要な部分(太字はG1級競走優勝馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。「f」は「filly(牝馬)」の略、「c」は「colt(牡馬)」の略。

牝系図の出典:牝系検索α

ほかリトルマネーメーカーの孫に3度の重賞2着があるカミノスオード、ガールトウショウの孫に7勝を挙げてシーイズトウショウ母の父となっているトウショウフリート、曾孫に岩手の重賞・東北サラブレッド大賞典の優勝馬ダイワハンニバル。エイティトウショウの仔にトウショウヒューイ、トウショウルーイ、トウショウスペリアといったオープン馬がいる。

血統

[編集]
ソシアルバターフライ (Social Butterfly)血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ハイペリオン系
[§ 2]

Your Host 1947
栗毛 アメリカ
父の父
Alibhai 1938
栗毛 イギリス
Hyperion Gainsborough
Selene
Teresina Tracery
Blue Tit
父の母
Boudoir 1938
芦毛 アイルランド
Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Kampala Clarissimus
La Soupe

Wisteria 1948
鹿毛 アメリカ
Easton 1931
鹿毛 フランス
Dark Legend Dark Ronald
Golden Legend
Phaona Phalaris
Destination
母の母
Blue Cyprus 1941
鹿毛 アメリカ
Blue Larkspur Black Servant
Blossom Time
Peggy Porter The Porter
Pretty Peggy F-No.1-w
母系(F-No.) 1号族(FN:1-w) [§ 3]
5代内の近親交配 Gainsborough4×5=9.38%・父内 [§ 4]
出典
  1. ^ [3]
  2. ^ [4]
  3. ^ [3]
  4. ^ [3][4]

父ユアホストは5年連続でアメリカの年度代表馬となった名馬ケルソの父として知られている。母ウィステリアはアメリカで2勝を挙げ、エイコーンステークス2着の実績を残している。

脚注

[編集]
  1. ^ うちの1頭リトルマネーメーカーはのちに日本に輸入され、その他2頭の子孫も輸入されている。
  2. ^ 『優駿』2005年3月号p.69
  3. ^ a b c ソシアルバターフライ(USA) 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月4日閲覧。
  4. ^ a b ソシアルバターフライの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月4日閲覧。

外部リンク

[編集]