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ゼヴェリン・フロイント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゼヴェリン・フロイント
基本情報
フルネーム Severin Freund
誕生日 (1988-05-11) 1988年5月11日(36歳)
出身地 ドイツの旗 ドイツ
ドイツバイエルン州フライウング=グラーフェナウ郡フライウング
身長 185 cm
選手情報
クラブ WSV DJK Rastbüchl
使用メーカー フィッシャー
最高記録 245.0 m (ヴィケルスン 2015年)
ワールドカップ
シーズン 2007年–
優勝回数 22回
他の表彰台 31回
表彰台獲得数 53回
獲得メダル
男子 スキージャンプ
オリンピック
2014 ソチ 団体ラージヒル
ノルディックスキー世界選手権
2015 ファールン 混合団体ノーマルヒル
2015 ファールン 個人ラージヒル
2021 オーベルストドルフ 団体ラージヒル
2013 ヴァル・ディ・フィエンメ 団体ラージヒル
2015 ファールン 個人ノーマルヒル
2011 オスロ 団体ノーマルヒル
2013 ヴァル・ディ・フィエンメ 混合団体ノーマルヒル
スキーフライング世界選手権
2014 ハラホフ 個人
2012 ヴィケルスン 団体
2016 バート・ミッテルンドルフ 団体
ノルディックスキージュニア世界選手権
2008 ザコパネ 団体
スキージャンプ・ワールドカップ
2014-2015 総合
2015-2016 総合
2013-2014 総合
最終更新日:2021年4月8日
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ゼヴェリン・フロイント(Severin Freund、1988年5月11日 - )は、ドイツバイエルン州フライウング=グラーフェナウ郡フライウング出身の元スキージャンプ選手である。

プロフィール

[編集]

フロイントは1993年からノルディック複合を始め、1995年に純ジャンプに転向した[1]。2002年からアルペンカップやジュニア国際大会に出場した。

2003年2月にソレフティアで行われたノルディックスキージュニア世界選手権に初出場、個人戦30位、団体戦11位となった。

2004/05シーズンに初めてスキージャンプ・コンチネンタルカップに昇格したが2本目に進めたのは2005年1月14日の札幌(兼札幌オリンピック記念国際スキージャンプ競技大会)のみであった。

2007年12月22日にエンゲルベルクのラージヒルでスキージャンプ・ワールドカップにデビュー、 2008年1月6日のビショフスホーフェンで初ポイントを獲得し2月のノルディックスキージュニア世界選手権では団体で金メダルを獲得した。

2011年1月16日に札幌でワールドカップ初勝利、翌日も2位となると1月30日にヴィケルスンで2勝目、2011年ノルディックスキー世界選手権ではノーマルヒル個人7位、ノーマルヒル団体ではマルティン・シュミットミヒャエル・ウアマンミヒャエル・ノイマイアーとともに銅メダルを獲得、ラージヒル個人12位、ラージヒル団体4位となった。2010/11シーズンのワールドカップ総合は自己最高の7位となった。2011/12シーズンは優勝こそなかったものの2位に3回入るなどして総合8位となった。

2012/13シーズンは開幕戦で2シーズンぶりの優勝をするなど序盤は好調だったが中盤に入り2本目に進めない(1本目で31位以下)試合もあるなど調子を落としたが2013年ノルディックスキー世界選手権ではノーマルヒル個人4位、ラージヒル個人9位、混合団体ではウルリケ・グレッスラーリヒャルト・フライタークカリーナ・フォークトとともに銅メダル、ラージヒル団体ではアンドレアス・ヴァンクミヒャエル・ノイマイアーリヒャルト・フライタークとともに銀メダルを獲得した。シーズン総合は自己最高の4位となった。

2013/14シーズンは開幕から好調だったが、エンゲルベルクでは2本目に進めず、スキージャンプ週間は総合16位など調子を落とした。その後、ヴィリンゲンで2戦連続2位となって調子をあげてオリンピックに臨んだ。

2014年ソチオリンピックでは個人ノーマルヒルの1本目に転倒し31位に終わった。個人ラージヒルではメダルに一歩及ばない4位。アンドレアス・ヴァンクマリヌス・クラウスアンドレアス・ウェリンガーと組んだ団体では4番手を飛び、チーム合計1041.1ポイントで金メダルを獲得した。オリンピック後のスキーフライング選手権で金メダルを獲得。ワールドカップシーズン総合でも3位に入った。

2014/15シーズンは2月に入るとパフォーマンスは全開となり、2015年ノルディックスキー世界選手権では個人ラージヒルと混合団体で金メダル、個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得、更に3月にはワールドカップ4連勝するなどしてワールドカップ総合首位を走った。最終戦の結果でスロベニアのペテル・プレヴツと同点となったが勝利数の差(9対3)でワールドカップ総合のタイトルを獲得した。ドイツ勢のワールドカップ総合優勝は1999/2000シーズンのマルティン・シュミット以来である。

2017年に十字靭帯断裂により[2]ワールドカップを離脱。2018年に復帰するが今度は半月板の手術で[3]再度離脱した。2020年にワールドカップに復帰し、2021年ノルディックスキー世界選手権では男子団体金メダルのメンバーとなった。 2021/22年シーズンはワールドカップ開幕時のドイツ代表メンバーから外れ、ジャンプ週間からワールドカップに復帰したが北京オリンピック代表メンバーからは落選した。オリンピック後のワールドカップにフル出場し総合30位でシーズンを終えて、2021/22年シーズン限りで引退したことを表明した。[4]

外部リンク

[編集]

脚注

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