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ゼカリヤ書9章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ゼカリヤ書9章(ぜかりやしょ9しょう)は旧約聖書ゼカリヤ書の中の一章。ゼカリヤ書9章ではゼカリヤ書2章4節「『彼らは何をするために来るのですか』と尋ねると、『これらの角は、だれも頭を上げる者がないほどに、ユダをちりぢりにしたものである。また、これらの人々は、ユダをちりぢりにするために、ユダの地に角を振り上げ、彼らを震え上がらせた国々の角を切り倒すために来るのだ』と言われた。」で預言されていたイスラエルの敵を滅ぼす預言の成就及び来たるべきメシアの到来について書かれている。

ダマスコはシリア平原につくられたアラム人王国の首都で、ハドラクはその付近の都市である。ハマトはシリアに流れるオロンテス川の河畔にあったハマト王国の首都、ティルスとシドンはフェニキア(現在のレバノン共和国。地中海の海上貿易進出が盛んで、海の女王と呼ばれた)の町の一つ。ガザは死海の西側100km前後の位置にあり、その付近のアシュケロン、エクロン、アシュドドはいずれもペリシテ人の五大都市である。[1][2][3]

日本語訳

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ゼカリヤ書9章は17節からなる。

1節 託宣。主の言葉がハドラクの地に臨み、またダマスコにとどまる。人々はイスラエルの全部族と共に主に目を向ける。
2節 それらの地に境を接するハマト、知恵に抜きん出たティルスとシドンもそうだ。
3節 ティルスは自分の砦を築き、塵のように銀を、野の土くれのように金を集めた。
4節 しかし、見よ、主はその町を陥れ、富を海に投げ込まれる。火は町を焼き尽くす。
5節 アシュケロンはそれを見て恐れ、ガザは大いにもだえ、エクロンも期待を裏切られてうろたえる。ガザの王は滅び、アシュケロンには人が住まなくなり、
6節 混血の民がアシュドドに住み着く。わたしはペリシテ人の高ぶりを絶つ。
7節 わたしはその口から血を、歯の間から忌まわしいものを取り去る。その残りの者は我らの神に属し、ユダの中の一族のようになり、エクロンはエブス人のようになる。
8節 そのとき、わたしはわが家のために見張りを置いて出入りを取り締まる。もはや、圧迫する者が彼らに向かって進んで来ることはない。今や、わたしがこの目で見守っているからだ。
9節 娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
10節 わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。
戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。
彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。
11節 またあなたについては
あなたと結んだ契約の血のゆえに
わたしはあなたの捕らわれ人を
水のない穴から解き放つ。
12節 希望を抱く捕らわれ人よ、砦に帰れ。
今日もまた、わたしは告げる。
わたしは二倍にしてあなたに報いる。
13節 わたしが引き絞るのはユダ
エフライムもわたしは弓として張る。
シオンよ、わたしはあなたの子らを奮い立たせ
あなたを勇士の剣のようにして
ヤワンよ、お前の子らに向かって攻めさせる。
14節 主は彼らの前に現れ
その矢は稲光のように飛ぶ。
主なる神は角笛を響き渡らせ
南からの暴風と共に進まれる。
15節 万軍の主は彼らの盾となられる。
放たれた石は的に食らいついて倒し
血をぶどう酒のように飲み
鉢や祭壇の四隅のように血で満たされる。
16節 彼らの神なる主は、その日、彼らを救い
その民を羊のように養われる。
彼らは王冠の宝石のように
主の土地の上で高貴な光を放つ。
17節 それはなんと美しいことか
なんと輝かしいことか。
穀物は若者を
新しいぶどう酒はおとめを栄えさせる。

— 日本聖書協会新共同訳聖書

1節 託宣。主の言葉はハドラクの地にあり、ダマスコにとどまる。人々とイスラエルのすべての部族の目は主に向けられる。
2節 ここに境を接するハマトも、知恵に満ちたティルスとシドンもそうである。
3節 ティルスは自分の砦を築き、銀を塵のように、黄金を路上の泥のように積み上げた。
4節 主はティルスを占領し、その富を海に投げ込まれる。ティルスは火で焼き尽くされる。
5節 アシュケロンはこれを見て恐れ、ガザは大いにもだえ、エクロンはその望みが辱められる。ガザの王は滅び、アシュケロンには人が住まなくなる。
6節 アシュドドには混血の民が住む。私はペリシテ人の誇りを絶つ。
7節 私はその口から血を、その歯の間から憎むべきものを取り除く。その民も我々の神のために残され、ユダの一首長のようになり、エクロンもエブス人のようになる。
8節 私は私の家に宿営して、行き来する者を見張る。もはや虐げるも者が彼らを踏みにじることはない。私が今、この目で見守っているからである。
9節 娘シオンよ、大いに喜べ。
娘エルサレムよ、喜び叫べ。
あなたの王があなたのところに来る。
彼は正しき者であって、勝利を得る者。
へりくだって、ろばに乗って来る
雌ろばの子、子ろばに乗って。
10節 私はエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。
戦いの弓は絶たれ
この方は諸国民に平和を告げる。
その支配は海から海へ
大河から地の果てにまで至る。
11節 あなたについては
あなたと結んだ契約の血のゆえに
私はあなたの捕らわれ人を
水のない穴から解き放つ。
12節 望みを抱く捕らわれ人よ、砦に帰れ。
今日もまた、私は告げる
私は二倍のものをあなたに返す、と。
13節 私はユダを弓として引き絞り
エフライムを矢としてつがえる。
シオンよ、私はあなたの子らを奮い立たせ
ヤワンの子らに立ち向かわせる。
私はあなたを勇士の剣のようにする。
14節 主は彼らの上に現れ
その矢は稲妻のように飛ぶ。
主なる神は角笛を吹き鳴らし
南からの暴風と共に進まれる。
15節 万軍の主は彼らを守られる。
彼らは石を投げる者を貪り、踏みにじり
血をぶどう酒のように飲み
祭壇の隅の鉢のように、満たされる。
16節 その日、彼らの神、主は、彼らを救い
その民は羊の群れのように
王冠の宝石のように、その地の上にきらめく。
17節 それはなんとすばらしく
なんと美しいことか。
穀物は若者たちを
新しいぶどう酒はおとめたちを栄えさせる。


— 日本聖書協会共同訳聖書

解釈

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1-8節では戦う神のイメージが打ち出されている。預言書の中でもイザヤ書2章4節のような平和主義を連想させる箇所とは大きくイメージが異なる。

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない。 — イザヤ書2章4節、『新共同訳聖書』より引用。(以下、引用はすべて新共同訳)

ただイザヤ書2章4節で表現されていることは単に絶対平和主義を表現しているにとどまらず、アッシリア、エジプト、バビロニア、ペルシャといった人間の目にどんなに盤石に見える大帝国であっても神の力の前にはいずれ滅びる脆弱なものに過ぎないこと、人間の目に見える表面的な力ではなく神の力に目を向けるべきことが表現されていると考えれば矛盾とは言えないとも解釈できる。このような戦う神の表象は神のみを最終的な審判者であることを知らしめることで人間が起こす戦いを促進するのではなく抑制するべきなのであり、15節にある「放たれた石は敵に食らいついて倒し」といったような戦いは人間が起こすものではなく神によってなされることを覚えるべきなのである。9節のろばに乗るメシアはマタイによる福音書21章5節で引用されている箇所で、旧約聖書でも創世記49章11節でろばに乗る王が表現されている。メシアは神への完全な信頼ゆえに戦争で使われる馬ではなくろばに乗り、軍事的な力によらない支配をするのである。[1]

シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』 — マタイによる福音書21章5節
彼はろばをぶどうの木に/雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ。彼は自分の衣をぶどう酒で/着物をぶどうの汁で洗う。 — 創世記49章11節


脚注

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  1. ^ a b E.アクティマイアー 伊藤 嘉朗訳 (1990). ナホム書-マラキ書 (現代聖書注解). 日本基督教団出版局. pp. 245-260. ISBN 978-4818400702 
  2. ^ 秦剛平 (2017). 七十人訳ギリシア語聖書 十二小預言書. 青土社. pp. 244-248. ISBN 978-4791770182 
  3. ^ 和田 幹男; 木田 献一 (1997). 新共同訳 聖書辞典. キリスト新聞社. pp. 225,323. ISBN 978-4873952901