セルネー
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Cernay | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | グラン・テスト地域圏 |
県 (département) | オー=ラン県 |
郡 (arrondissement) | タン郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 68063 |
郵便番号 | 68700 |
市長(任期) |
ミシェル・ソルディ (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | C.C. de Cernay et environs |
人口動態 | |
人口 |
11 288人 (2009年) |
人口密度 | 626人/km2 |
住民の呼称 | Cernéens |
地理 | |
座標 | 北緯47度48分26秒 東経7度10分36秒 / 北緯47.8072度 東経7.1767度座標: 北緯47度48分26秒 東経7度10分36秒 / 北緯47.8072度 東経7.1767度 |
標高 |
平均:m 最低:277 m 最高:358 m |
面積 | 18 04km2 (1 804ha) |
公式サイト | ville-cernay.fr |
セルネー (フランス語: Cernay、ドイツ語: Sennheim、アルザス語: Sanna)は、フランス、グラン・テスト地域圏、オー=ラン県のコミューン。
地理
[編集]テュール川が流れ、西側をヴォージュ山脈と接している。セルネーは昔から交通の要所であり、現在は国道66号線と国道83号線が交差する。タンから6km、ゲブヴィレールから12km、ミュルーズから18km、コルマールから36km離れている。
由来
[編集]セルネーは1144年にドイツ語でSennenheimとして記された。1184年にはアルザス語のSenneneと記された。1327年にはフランス語でSeyrenayと記され、現在のつづりとなったのは19世紀からである。
セルネーという名称はドイツ語の名称がフランス語化したものであり、ケルト語源で同じつづりのセルネーとは異なる。ゲルマン化された地域では、接尾辞の-acumは-ichか-achに変わっていただろう。
ドイツ語名のSennheimのSennは、ゲルマンの個人名である。
歴史
[編集]1268年にまちは早くも防衛を強化した。フェルレット伯爵領の一部となり、1324年に伯爵領はハプスブルク家のものとなった。1648年にヴェストファーレン条約によってセルネーはフランス領となった。
1914年のミュルーズの戦いでまちは広範囲にわたって破壊され、1945年初頭のコルマールの戦いで再び甚大な被害を受けた。第二次世界大戦中のセルネーは第三帝国に併合され、かつての精神病院は武装SS士官、特にフランス語圏出身者が多かった第33SS武装擲弾兵師団のための研修施設となっていた。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2009年 |
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8372 | 8563 | 9342 | 10208 | 10313 | 10446 | 10752 | 11288 |
史跡
[編集]- サンテティエンヌ教会 - 第一次世界大戦によって被害を受けた旧教会に替わって1925年に建てられたネオ・ゴシック様式。古典的なラテン十字型。
- タン門 - 13世紀以来まちの防壁の一部である門
- 中世の城壁の南東塔
- マレシャル・ド・ションベック邸 - 1643年、ルイ13世はヴァイマル公配下のスウェーデン連隊大佐ションベックにセルネーの支配権を与えた。1647年にションベックがこの建物を購入。フランス革命後に売却され、1870年の普仏戦争まで公証人が所有者だった。