セルズドン男爵
セルズドン男爵 Baron Selsdon | |
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創設時期 | 1932年1月14日 |
創設者 | ジョージ5世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代男爵ウィリアム・ミッチェル=トムソン |
現所有者 | 3代男爵マルコム・ミッチェル=トムソン |
相続人 | カラム・ミッチェル=トムソン閣下 |
付随称号 | (ポルムードの)準男爵 |
モットー | 神は備えている (Deus Providebit) |
セルズドン男爵(英: Baron Selsdon)は、イギリスの男爵、貴族。連合王国貴族爵位。サー・ウィリアム・ミッチェル=トムソンが1932年に叙されたことに始まる。
前身となった準男爵位についても触れる。
歴史
[編集]スコットランドの実業家サー・ミッチェル・トムソン (1846–1918)はエディンバラ大学総長を務めたのち、1900年9月26日に(ピーブルスシャー州ポルムードの)準男爵(Baronet, of Polmood in the County of Peebles)に叙された[1][2]。また彼は同年に勅許を得て、母の姓である「ミッチェル」を加えた「ミッチェル=トムソン」に改姓している[3]。
2代準男爵ウィリアム(1877-1938)は保守党の政治家として活動し、スタンリー・ボールドウィン内閣では郵政大臣を務めている。[4]彼は庶民院議員を辞した後の1932年1月14日に連合王国貴族としてサリー州クロイドンのセルズドン男爵(Baron Selsdon, of Croydon in the County of Surrey)に叙されて、貴族院に転じた[5][2]。
彼の息子である2代男爵ピーター(1913-1963)はレーサーとして名を残しており、1949年度ル・マン24時間レースではルイージ・ギネッティとともに優勝を果たしている[6]。
3代男爵マルコム(1937-)は保守党の政治家として活動しており、1999年の貴族院法制定以降も貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人である[2]。
2019年現在、彼が男爵家の当主である。
現当主の保有爵位
[編集]現当主である第3代セルズドン男爵マルコム・マッケンチャーン・ミッチェル=トムソンは、以下の爵位を有する[2]。
- 第3代サリー州クロイドンのセルズドン男爵(3rd Baron Selsdon, of Croydon in the County of Surrey)
(1932年1月14日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第4代(ピーブルスシャー州ポルムードの)準男爵(4th Baronet, of Polmood in the County of Peebles)
(1900年9月26日の勅許状による連合王国貴族爵位)
一覧
[編集](ポルムードの)準男爵(1900年)
[編集]- 初代準男爵サー・ミッチェル・ミッチェル=トムソン (1846–1918)
- 第2代準男爵サー・ウィリアム・ミッチェル=トムソン(1877-1938)(1932年にセルズドン男爵位創設)
セルズドン男爵(1932年)
[編集]- 初代セルズドン男爵ウィリアム・ミッチェル=トムソン (1877–1938)
- 第2代セルズドン男爵ピーター・ミッチェル=トムソン (1913–1963)
- 第3代セルズドン男爵マルコム・マッケンチャーン・ミッチェル=トムソン (1937-)
法定推定相続人は現当主の息子カラム・マルコム・マッケンチャーン・ミッチェル=トムソン閣下(1969-)。
脚注
[編集]- ^ “No.27254”. The Gazette 7 December 1900. 2019年11月14日閲覧。
- ^ a b c d “Selsdon, Baron (UK, 1932)”. Cracroft's Peerage. 2019年11月14日閲覧。
- ^ “No.27239”. The Gazette 19 October 1900. 2019年11月14日閲覧。
- ^ "Lord Selsdon". The Times. The Times Digital Archive. 27 December 1938. p. 10.
- ^ “No.33790”. The Gazette 15 January 1932. 2019年11月14日閲覧。
- ^ 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』, p. 223.
関連項目
[編集]- ビュート・ハウス―スコットランド首相官邸。初代準男爵が30年に渡り居住した。
- 1999年貴族院改革後における世襲貴族在籍議員一覧
参考文献
[編集]- 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版 ISBN 4-87687-161-2