セルジオ・タッキーニ
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基本情報 | ||||
国籍 | Italy | |||
出身地 | {{{出身地}}} | |||
生年月日 | 1938年9月2日(86歳) | |||
利き手 | {{{利き手}}} | |||
デビュー年 | {{{デビュー年}}} | |||
生涯通算成績 | {{{生涯通算成績}}} | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 2R (1961) | |||
全仏 | 2R (1960, 1961) | |||
全英 | 2R (1960, 1962, 1965) | |||
全米 | 3R (1966) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全英 | 2R (1963)[1] | |||
4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||
全英 | 2R (1966)[1] | |||
国別対抗戦最高成績 | ||||
デビス杯 | F (1960Ch) | |||
シングルス | {{{シングルス最高}}} | |||
ダブルス | {{{ダブルス最高}}} | |||
セルジョ・タッキーニ(Sergio Tacchini、1938年5月30日 - )はイタリアのファッションデザイナー。自身の名を冠したファッションブランドは、主にカジュアル・スポーツウェアのブランドとして有名である。イタリア・ノヴァーラに本社を置く。
略歴・沿革
[編集]1955年に、ミラノのテニスクラブに入部。テニス選手として活躍し、1966年にイタリア全国大会で優勝し、デビスカップにも出場。クレイコートをもっぱら得意とした。
1966年に、サンディーズ社(Sandys S.p.A.)創業。数年後自らの名前に改称する。当初は当時テニスウェアは白がほとんどだった時代、エレガントなテニスウェアを制作するため、カラフルな生地を使用すると言うアイデアだった。1970年代には各国の有名選手と契約。1978年にはジョン・マッケンローと8年間の契約をした。1990年代にも新進気鋭のピート・サンプラスやマルチナ・ヒンギスらが着用し人気を博した。 その後スキーやフィットネス、ゴルフ、ヨットやその他のカジュアルウェアにも進出。現在は主に、ヨットとテニス、ゴルフなどのスポーツウェアを生産・販売している。
日本での代理販売は内野株式会社→株式会社ティースポーツ(元・TOYOタイヤ子会社)→タッキーニジャパン→株式会社アシックスが行ってきたが、その後の代理店が見つからず、2011年事実上日本の市場から撤退した。
その他
[編集]1988年から1989年にかけ、ダイハツ工業とのコラボレーションで、ダイハツ・シャレード(3代目、G100系)の特別仕様車「セルジオ・タッキーニ」も販売された。
脚注
[編集]公式サイト
[編集]セルジオ・タッキーニ日本語公式サイト日本撤退にともない閉鎖。熱中症対策グッズ店に転生。- 公式サイト(イタリア語・英語)
- セルジオタッキーニ Instagram(英語) 公式Instagramアカウント(@sergiotacchini_official)
- セルジオ・タッキーニジャパン 日本公式サイト
- セルジオ・タッキーニジャパン Instagram 日本公式アカウント(@sergiotacchini_japan)