セセリア・アマブヨク
セセリア・アマブヨク Cecilia Amabuyok | |
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ミス・ワールド1968出場時のプレスフォト | |
生誕 |
Arene Cecilia Amabuyok ca.1951 |
国籍 | フィリピン共和国 |
別名 | Cecilia "Pinky" Amabuyok |
教育 | 学士 |
出身校 | マニラ大学 |
職業 | 修道女 |
活動期間 | ca1968 - |
宗教 | キリスト教(カトリック) |
栄誉 | ミス・ワールド1968 第5位入賞 |
セセリア・アマブヨク(Arene Cecilia Amabuyok, 1951年頃 - )は、フィリピンの修道女。国を代表してミス・ワールド1968に出場したことで知られる。名前のカタカナ表記は毎日新聞に従う[1]。
1968年10月6日、37人の出場者の中からMiss Philippinesに選ばれ、国を代表してミス・ワールドに出場する資格を得る(Cecilia "Pinky" Amabuyok名義。この年はBeauty World Ltd.がミス・ワールドのフランチャイズ契約を締結したのち最初の国内大会である)[2][3]。
1968年11月、ミス・ワールド1968に出場。この時の肩書は、毎日新聞によるとマニラ大学学生である。優勝の前評判は高いと報道された。熱心なカトリック教徒で、ミス・ワールドに出場中はミサに行けないのが悲しみの種であると述べる。「たとえミス・ワールドに選ばれても、私は神のもの。尼になる望みは捨てませんワ」という発言が残っている[1]。
ミス・ワールド決勝に先立って開催された慈善団体のパーティーでは、男たちは彼女の気を引くために口笛を鳴らし、足を踏み鳴らした。挙句、彼女を持ち上げてテーブルに乗せてしまった[4]。Helen Gordonは、この時の肩書をカトリックの新人修道女としている[4]。なお、彼女が実際に修道女であったか否かについて、二通りの見解がある。ある者は売名のためのでっち上げと言い、ある者は修道院長が「これで修道女は美しくもあり善良でもあることが知れ渡るでしょう」と許可を出したと言う[5]。この発言はセセリア自身によるものだとする資料もある[3]。Han Shinは、修道院長は激怒したがセセリアがこう言って修道女たちを説得し、4週間の休暇を得てミス・ワールドに出場したとする[6]。
11月14日、最終的に第5位入賞[7]でミス・ワールドを終える。
出典
[編集]- ^ a b c 毎日新聞 1968, p. 3.
- ^ “PHILIPPINE DELEGATES TO MISS WORLD IN THE 60's”. veestarz.com. 2019年4月1日閲覧。
- ^ a b Fulger 2022, p. 222.
- ^ a b Gordon 2018, p. 222.
- ^ “PENELOPE PLUMMER: bibliotecaria australiana es Miss Mundo 1968”. chileancharm.com (Ivona Puhlera). 2024年2月3日閲覧。
- ^ Han Shin (2005). Beauty With A Cause: A Spiritual Odyssey. iUniverse. p. 135. ISBN 0595373682
- ^ “1968”. pageantopolis.com. 2008年12月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 「〝心の美〟も認めてネ 尼さん志望のミス・ワールド候補」『毎日新聞』1968年11月11日、東京・朝刊、3面。
- Helen Gordon (2018-09-04). Being Beautiful: An inspiring anthology of wit and wisdom on what it means to be beautiful. White Lion Publishing. p. 222. ISBN 9780711239173
- Vasile Dumitru Fulger (2022-03-29). Destine ale reginelor frumuseții. Ideea Europeană. p. 222. ISBN 9786065942240