コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

セオフィラス・バトラー (初代ニュータウン=バトラー男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代ニュータウン=バトラー男爵セオフィラス・バトラー英語: Theophilus Butler, 1st Baron Newtown-Butler PC (Ire)1723年3月11日没)は、アイルランド貴族

生涯

[編集]

フランシス・バトラー(Francis Butler、1702年没)とジュディス・ジョーンズ(Judith Jones、セオフィラス・ジョーンズの娘)の息子として1669年[1]に生まれ、1679年よりアイルランドのClerk of the Pellsの1人を務めた[2]。1686年9月27日に弟ブリンズリーとともにダブリン大学トリニティ・カレッジに入学、1718年3月にLL.D.の学位を授与された[1]。1689年、大同盟戦争勃発によりイングランドに移住したが、そのあともたびたびアイルランドに帰省した[1]

1702年8月15日に父より家督を継承、1703年から1713年までキャバン・カウンティ選挙区英語版の代表として、1713年から1715年までベルターベット選挙区英語版の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた後、1715年10月21日にアイルランド貴族であるファーマナ県におけるニュータウン=バトラー男爵に叙された[2]。叙爵の理由はバトラーがホイッグ党に所属したためとされる[1]。また、1710年にアイルランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命された[2]

1723年3月11日に自宅で死去した[2]。ニュータウン=バトラー男爵の爵位には父の子孫への特別残余権(special remainder)があるため、弟ブリンズリーが爵位を継承した[2]

家族

[編集]

1702年4月、エミリー・ストップフォード(Emily Stopford、1722年6月13日没、ジェームズ・ストップフォードの娘)と結婚した[2]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d Earley, Sylvia (12 April 2013). "Theophilus Butler, Cavan MP and book-collector". History Ireland (英語). 2019年10月6日閲覧
  2. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 32.
アイルランド議会
先代
サー・フランシス・ハミルトン準男爵
フランシス・ホワイト
庶民院議員(キャバン・カウンティ選挙区英語版選出)
1703年 – 1713年
同職:サー・フランシス・ハミルトン準男爵
次代
サー・フランシス・ハミルトン準男爵
ロバート・サンダース英語版
先代
リチャード・タイ
サー・トマス・テイラー準男爵
庶民院議員(ベルターベット選挙区英語版選出)
1713年 – 1715年
同職:ブリンズリー・バトラー
次代
チャールズ・デラフェイ英語版
ブリンズリー・バトラー
アイルランドの爵位
爵位創設 ニュータウン=バトラー男爵
1715年 – 1723年
次代
ブリンズリー・バトラー