スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー
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スヴャトスラフ・ニコラーエヴィチ・クヌシェヴィツキー | |
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出生名 | Святослав Николаевич Кнушевицкий |
生誕 |
1908年1月6日 ロシア帝国、サラトフ県ペトロフスク |
死没 |
1963年2月19日(55歳没) ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック |
職業 | チェリスト、音楽教師 |
担当楽器 | チェロ |
共同作業者 | ダヴィッド・オイストラフ、レフ・オボーリン |
スヴャトスラフ・ニコラーエヴィチ・クヌシェヴィツキー((ロシア語: Святослав Николаевич Кнушевицкий, 英語: Sviatoslav Nikolayevich Knushevitsky, 1908年1月6日(ユリウス暦1907年12月24日) サラトフ県ペトロフスク - 1963年2月19日 モスクワ)はソビエト連邦のチェリスト。モスクワ音楽院教授。
概要
[編集]1923年にモスクワ音楽院に入学し、セミョン・コゾルポフにチェロを師事する。1929年、音楽院卒業と同時にボリショイ劇場管弦楽団の首席奏者となり1943年まで務める。この間、1933年の全ソ音楽コンクールで優勝し、ソリスト及び室内楽奏者としても活躍しはじめた。
1943年[1]にはヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ、ピアニストのレフ・オボーリンと三重奏団「オイストラフ・トリオ」を結成、自身の死まで継続して活動を行った[2]。
同時代に活躍したソ連の作曲家、ミャスコフスキー、ハチャトゥリアン、グリエール、ワシレンコからチェロ協奏曲を献呈されレパートリーの拡大に寄与している。また、1956年に復元されたチャイコフスキーの『ロココの主題による変奏曲』原典版の初演も行っている。
教育者としては、1942年より母校のモスクワ音楽院で教え始め、1950年に教授に昇進、1954年から1959年の間はチェロ及びコントラバス部長を務めた。1963年にモスクワで没。
受賞
[編集]家族・親族
[編集]- 兄:兄は作曲家で軽音楽指揮者のヴィクトル・クヌシェヴィツキー。
- 妻:妻はソプラノ歌手のナタリア・シュピレル。
外部リンク(兼・参考文献)
[編集]参考文献
[編集]- 日本・ロシア音楽家協会 編「ロシア音楽事典」(2006年 カワイ出版)ISBN 9784760950164