スリマ・ストラヴィンスキー
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スヴャトスラフ・スリマ・ストラヴィンスキー | |
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生誕 | 1910年9月23日 |
死没 | 1994年11月28日(84歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家・ピアニスト・音楽教師 |
スヴャトスラフ・スリマ・ストラヴィンスキー(Sviatoslav Soulima Stravinsky, 1910年9月23日 - 1994年11月28日)は、スイス生まれのロシア系の作曲家・ピアニスト・音楽教師。
経歴
[編集]スリマは作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーの次男で、父が「火の鳥」を発表した1910年にローザンヌで生まれた。「スリマ」という名はストラヴィンスキー家の本来の姓である「スリマ=ストラヴィンスキ」に由来する[1]。
イシドール・フィリップにピアノを、ナディア・ブーランジェに作曲を師事した。1934年にパリでデビューし、父の作品を共に演奏・録音した[2]。1939年に父はアメリカに亡命したが、スリマはフランス陸軍に籍を置き、1946年にフランソワーズ・ボンと結婚した[1]。
1948年になって父の招きに応じて渡米して以降アメリカで活動したが、スリマを含むイーゴリの子供たちはイーゴリの後妻であるヴェラと仲が悪く、その後は父と対立するようになった[1]。
1950年から1978年までアーバナのイリノイ大学でピアノを教えた[2][3]。
1971年に父が没すると兄妹と姉の娘らと共に、ヴェラとの間で8年間にわたって遺産を争った[4]。
スリマ・ストラヴィンスキーの作品は父が没した後になってようやく出版された。大部分はピアノ曲で、演奏会用の曲のほかに教育用作品がある[1]。創造的芸術家としては父親の名声の影に隠れてしまっている。
ほかに、管弦楽法やオーケストラに関する著作がある。演奏家として、父親のピアノ曲を録音にのこした。
家族
[編集]- 父:イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー -作曲家。
- 祖父:フョードル・ストラヴィンスキー -声楽家、俳優。
脚注
[編集]- ^ a b c d David Revill (1994-12-16), Obituary: Soulima Stravinsky, Independent
- ^ a b Allak Kozin (1994-11-29), Soulima Stravinsky, Composer, Pianist And Educator, 84, New York Times
- ^ Stravinsky Joins School of Music, University of Illinois Archives, (1950-02-12)
- ^ Edith Evans Asbury (1979-12-12), Stravinsky Estate Fight Resolved, New York Times