スペンサー・コンプトン (第8代ノーサンプトン伯爵)
第8代ノーサンプトン伯爵スペンサー・コンプトン(英語: Spencer Compton, 8th Earl of Northampton、1738年8月16日 – 1796年4月7日)は、イギリスの貴族、政治家。
生涯
[編集]第4代ノーサンプトン伯爵ジョージ・コンプトンの三男チャールズとメアリー・ルーシー(Mary Lucy)の次男として生まれ[1]、1746年にウェストミンスター・スクールで教育を受けた[2]。1756年にエンサインとして従軍、1757年に大尉に昇進、1760年に除隊した[2]。
1761年イギリス総選挙でノーサンプトン選挙区から出馬して当選したが[2]、1763年10月18日に兄にあたる第7代ノーサンプトン伯爵チャールズ・コンプトンが死去したため爵位を継承[1]、庶民院議員の資格を失った。庶民院議員として発言した記録はなかったという[2]。
宮廷職などの官職では1760年から1763年までジョージ3世の寝室宮内官を[3]、1763年12月から1796年までノーサンプトン市裁判所判事を[2]、1771年から1796年までノーサンプトンシャー知事を務めた[3]。
金遣いが荒いことと1768年イギリス総選挙により多くの負債を抱え、1774年には財政上と健康上の理由により旧スイス連邦に向かい、そこで余生を過ごした[2][3]。
1796年4月7日にスイスのベルンで死去[3]、息子チャールズが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1758年、ジェーン・ロートン(Jane Lawton、1767年11月26日没、ヘンリー・ロートンの娘)と結婚、1男1女をもうけた[1]。
- チャールズ(1760年 – 1828年) - 第9代ノーサンプトン伯爵、後に初代ノーサンプトン侯爵に叙爵
- フランシス(1832年没) - 生涯未婚
1769年、ホファム(Hougham)という姓の女性と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1504.
- ^ a b c d e f Namier, Lewis (1964). "COMPTON, Spencer (1738-96)". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年5月21日閲覧。
- ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 74.
グレートブリテン議会 | ||
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先代 リチャード・バックウェル フレデリック・モンタギュー |
庶民院議員(ノーサンプトン選挙区選出) 1761年 – 1763年 同職:フレデリック・モンタギュー |
次代 フレデリック・モンタギュー ルーシー・ナイトリー |
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