コンテンツにスキップ

スペクタキュラービッド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スペクタキュラービッド
欧字表記 Spectacular Bid
品種 サラブレッド
性別
毛色 芦毛
生誕 1976年2月17日
死没 2003年6月9日
Bold Bidder
Spectacular
母の父 Promised Land
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Mrs. William G. Gilmour
Mrs. William M. Jason
馬主 Hawksworth Farm
調教師 Grover G. Delp(アメリカ
競走成績
生涯成績 30戦26勝
獲得賞金 278万1,608ドル
テンプレートを表示

スペクタキュラービッド (Spectacular Bid) はアメリカ合衆国競走馬。アメリカ競馬の黄金時代であった1970年代の最後の大物である。ケンタッキーダービープリークネスステークスのアメリカ二冠をはじめ、G1競走を13勝した。1980年にはエクリプス賞の年度代表馬を受賞した。

なお、読物によってはスペクタキュラービドという日本語表記も存在する。

戦績

[編集]

デビュー - 三冠レース

[編集]

2歳となった1978年6月にデビューし、当初こそ2敗を喫したものの、ワールズプレイグラウンドステークスで15馬身差の圧勝劇を演じたのを皮切りに連勝街道に乗る。シャンペンステークスを2馬身4分の3差、ローレルフューチュリティを8馬身2分の1差で勝利し、断然の評価でこの年の最優秀2歳牡馬に選ばれた。

フロリダで休養を過ごし、3歳時はハッチソンステークスから始動しキャンターのまま4馬身差で楽勝。12日後のファンテンオブユースステークスを8馬身差、更に連闘で臨んだフロリダダービーでは後方から捲り4馬身2分の1差、フラミンゴステークスではバックストレッチから一頭だけスパートを開始し、ゴール時には12馬身差と快進撃は止まるところを知らず、すでにケンタッキーダービーが9日後に迫っているなか、ブルーグラスステークスへと出走し、7馬身差で勝利する。

本番のケンタッキーダービーは、後方から捲り気味に進出し、ジェネラルアセンブリーを下して勝利。わずか5頭立ての少頭数となったプリークネスステークスは、4番手からバックストレッチで進出を開始し5馬身2分の1差をつけ、コースレコードに0秒2差の好タイムで優勝する。2歳時の敗戦からここまで12連勝で、圧倒的な強さに当時「2000mまでならセクレタリアトよりも上」との評価が出るほどであった。ところが、三冠のかかったベルモントステークスでは当日に安全ピンがに刺さるというアクシデントがあり、コースタルゴールデンアクトの後塵を拝する3着に敗れてしまう。

ジョッキークラブゴールドカップ

[編集]

秋にはジョッキークラブゴールドカップで、1歳年上の三冠馬アファームドと対峙した。僅か4頭立てながら、アファームド、スペクタキュラービッド、コースタルと役者が揃っていた。レースでは、逃げるアファームドにスペクタキュラービッドが何度も競りかけるが、アファームドはその度に距離をとる。直線では内からコースタル、外からスペクタキュラービッドが襲い掛かるが、アファームドは更に伸び、ねじ伏せるような形で勝利した。スペクタキュラービッドは4分の3馬身遅れての2着だった。この敗戦により、最優秀3歳牡馬には選出されたが、年度代表馬はアファームドのものとなった。

古馬時代

[編集]

古馬となったスペクタキュラービッドは、年初めのマリブステークスを馬なりで5馬身差の圧勝を遂げると、チャールズH. ストラブステークスで1:57.8という史上空前の世界レコードで勝利する。この後も圧勝で連勝を続け、アモリーL. ハスケルハンデキャップで名牝グローリアスソングを破ると、引退レースとなったウッドワードステークスはあまりの強さに他陣営が恐れをなし、1948年以来の単走のレースとなった。アファームドに敗れてから引退まで9連勝。生涯獲得賞金は278万1608ドルで、アファームドを抜いて当時の新記録だった。

競馬雑誌ブラッド・ホースによる20世紀のアメリカ名馬100選にて第10位にランキングされた。

主戦騎手ウィリー・シューメーカーは当馬をベストホースとして挙げている。

年度別競走成績

[編集]

種牡馬時代

[編集]

引退したスペクタキュラービッドは、当時のレコードとなる総額2200万ドルでシンジケートが結成され、クレイボーンファームで種牡馬入りした。初年度となる1981年の種付け料は15万ドル。だが、種牡馬成績はG1勝ち馬が1頭と、多大な期待には遠く及ばず、繁殖牝馬の質と種付け料は低下の一途をたどった。1991年ニューヨーク州のミルファーファームに移動。死ぬまで種牡馬生活を続け、最終年には種付け料3500ドルで供用され、10頭の牝馬に種付けしていた。

2003年6月9日、スペクタキュラービッドは心臓発作のため27歳で死を迎えた。遺体はミルファーファームに埋葬された。なお、その約4カ月後にコンビを組んだシューメーカーがこの世を去っている。

通算の種牡馬成績は、勝ち上がり頭数253頭のうちステークス勝ち馬が47頭、獲得賞金は1900万ドル以上。母の父としては、スペクタキュラービッドが死んだ時点で69頭のステークス勝ち馬を出していて、そのなかには2001年カルティエ賞最優秀スプリンターのMozartなど8頭のG1勝ち馬が含まれている。

主な産駒

[編集]

母の父としての主な産駒

[編集]

血統表

[編集]
スペクタキュラービッド血統ボールドルーラー系 / To Market 3x3=25.00%、 Blenheim II 5x5=6.25%) (血統表の出典)

Bold Bidder
1962 鹿毛 アメリカ
父の父
Bold Ruler
1954 鹿毛 アメリカ
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Miss Disco Discovery
Outdone
父の母
High Bid
1956 鹿毛 アメリカ
To Market Market Wise
Pretty Does
Stepping Stone Princequillo
Step Across

Spectacular
1970 芦毛 アメリカ
Promised Land
1954 芦毛 アメリカ
Palestinian Sun Again
Dolly Whisk
Mahmoudess Mahmoud
Forever Yours
母の母
Stop on Red
1959 栗毛 アメリカ
To Market Market Wise
Pretty Does
Danger Ahead Head Play
Lady Beware F-No.2-d


外部リンク

[編集]