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スベトラーナ・ホルキナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スヴェトラーナ・ホルキナ
2001年
選手情報
フルネーム ロシア語: Светлана Васильевна Хоркина
愛称 女王(Queen)
国籍 ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1979-01-19) 1979年1月19日(45歳)
生誕地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦ベルゴロド
身長 164cm
種目 女子体操競技
引退 2004年
獲得メダル
オリンピック
2000 段違い平行棒
1996 段違い平行棒
2004 個人総合
2000 団体総合
2000 ゆか
1996 団体総合
2004 団体総合
世界体操競技選手権
2003 アナハイム 個人総合
2001 ヘント 個人総合
2001 ヘント 段違い平行棒
2001 ヘント 跳馬
1999 天津 段違い平行棒
1997 ローザンヌ 個人総合
1997 ローザンヌ 段違い平行棒
1996 サンフアン 段違い平行棒
1995 鯖江 段違い平行棒
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スヴェトラーナ・ホルキナ (Svetlana Vasilyevna Khorkina、1979年1月19日 - )はロシアの元女子体操競技選手で政治家

略歴

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体操選手時代

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5歳で体操を始め、1991年に12歳でナショナルチーム入り。1990年代中盤-2000年代前半と、長期間にわたってトップ選手として活躍した。

1995年6月、欧州選手権で個人総合優勝。同年10月、初出場の世界選手権(福井県鯖江市)で段違い平行棒で優勝。以後、複数の新技を発表し、圧倒的な強さで五連覇する。1997年世界体操競技選手権(ローザンヌ)で個人総合初優勝。

2000年シドニーオリンピックでは、跳馬の不具合によるミス[1] や段違い平行棒の落下から個人総合は11位に沈んだ。団体でも段違い平行棒で落下し優勝を逃していただけに、得意の段違い平行棒で二連覇を果たした瞬間、涙を流した。

2003年世界体操競技選手権アナハイム)個人総合では、予選3位から最終種目の床運動で逆転優勝し、連覇。床は2位のカーリー・パターソンをして「まるで女優のよう」と感嘆させる演技だった。一方、予選1位の段違い平行棒では2度落下したため7位だった。同大会期間中に、翌2004年での引退を明言した。

最後の五輪となった、2004年アテネオリンピックでは、会場のファンから圧倒的な声援を受けた[2] が、個人総合でC・パターソンに敗れ銀メダルとなり、悲願の優勝は叶わなかった。競技終了後は多くの選手と握手を交わし、表彰式にはわざわざレオタードを着替えて臨んだ。種目別の段違い平行棒ではまさかの落下に終わり三連覇を絶たれ、ショックからか全選手の演技終了を待たずに退場し、メダル獲得者によるガラにも姿を見せなかった。さらに日程終了後の記者会見では「私は、オリンピックチャンピオン」と発言。同五輪では男子に採点トラブルが発生しており[3]、また、会見以前に、ホルキナから採点に不満を示す趣旨の発言があったことから、真意を問う質問が集中した。

2004年12月、ロシア体操連盟の副会長に選出された。

政治家時代

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2009年10月撮影

2007年に、与党・統一ロシアからロシア連邦議会下院(ロシア国家院)議員に当選。なおこの選挙では、元新体操選手のアリーナ・カバエワらも当選している。

2009年1月には、スポーツ議員団の一員として来日した[4]

体操選手としての特徴

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約10年もの長期間にわたりエースとして活躍。164cmと体操選手としては極めて長身であり、少女期に新体操に取り組んだ時期もあった。

特に段違い平行棒においては、他を寄せ付けない圧倒的な強さがあった。自ら開発した飛び越し技(背面ひねり飛び越し懸垂=男子鉄棒マルケロフと同技)を武器に、オリンピック連覇・世界選手権五連覇をはじめとする驚異的な連勝記録も達成した。個人総合においても常に優勝候補と目され、世界選手権では3度優勝したが、オリンピックでの優勝はついに叶わなかった。

名前について

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名字のホルキナを、Chorkinaとする表記もあるため、国際大会デビュー当初の日本語表記は「チョルキナ」とされていた。しかし、1995年世界体操競技選手権(福井県鯖江市)中に、場内アナウンスを聴いた本人の申し入れにより表記が「ホルキナ」に改められた[5]

脚注

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  1. ^ 不具合の発覚後、該当選手はやり直しも可能だったが、ホルキナは希望しなかった
  2. ^ 2004年8月20日 朝日新聞「新旧女王の宴 カーリー・パターソンが優勝」
  3. ^ 男子個人総合で採点ミス、種目別鉄棒で観客のブーイングにより得点が変更。これらの採点トラブルから、10点満点制が廃止となった。
  4. ^ 外務省:ロシア・スポーツ関係議員の訪日について
  5. ^ 1995年10月8日 読売新聞「体操 世界選手権鯖江大会第7日 日本女子も五輪切符 ルーマニアがV」

外部リンク

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