コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス・マグヌス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス・マグヌス
Sp. Postumius Sp. f. Sp. n. Albinus Magnus
灰色がアルビヌス・マグヌスが建設したポストゥミア街道
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 ポストゥミウス氏族
官職 法務官紀元前151年以前)
執政官紀元前148年
テンプレートを表示

スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス・マグヌスラテン語: Spurius Postumius Albinus Magnus、生没年不詳)は紀元前2世紀中頃の共和政ローマ政務官紀元前148年コンスル(執政官)を務めた。ポストゥミア街道の建設者として名を残している。

出自

[編集]

アルビヌス・マグヌスはパトリキであるポストゥミウス氏族の出身で、共和政ローマ建国5年目の紀元前505年にはプブリウス・ポストゥミウス・トゥベルトゥスが執政官に就任するなど、古くから高官を出していた。カピトリヌスのファスティによれば、父も祖父もプラエノーメン(第一名、個人名)はスプリウスである[1]。祖父スプリウスは紀元前242年の執政官アウルス・ポストゥミウス・アルビヌス の息子であると思われる[2]。父スプリウスは資料に登場しないことから、高位官職に就任する前に死去したと推定される[3]

経歴

[編集]

マグヌスに関する現存する最初の資料は、紀元前148年に執政官に就任したときである。当時のウィッリウス法の要求事項から、現代の研究者は彼が遅くとも紀元前151年までにはプラエトル(法務官)を務めたと考えている[4]。ちょうどこの時期、高位官職の多くをポストミウス氏族が占めていた[3]

マグヌスの同僚のプレプス(平民)執政官はルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌスであった[5]。当時は第三次ポエニ戦争の最中であったが、くじ引きの結果カルタゴに派遣されるのはカエソニヌスとされ、マグヌスはイタリアに残ることになった。マグヌスはゲヌア(現ジェノヴァ)からクレモナへの街道を建設し、さらにアクイレイアまで伸ばした。これによってガリア・キサルピナ全体をローマ街道が貫いたことになる。この街道はポストゥミア街道と呼ばれることになる[3]

紀元前146年、ポストゥミウス・アルビヌス家の誰かが、アカエア戦争終了後にルキウス・ムンミウスを補助してギリシアの秩序を回復するための、10人の使節に選ばれている[6]。既にキケロの時代(約100年後)には、この人物が特定できなかったようで、ティトゥス・ポンポニウス・アッティクスへの手紙の一つで、これが誰かを聞いている[7]。現代の研究者の意見も一致していない。あるものはマグヌスと言い、アウルス・ポストゥミウス・アルビヌスとするものもいる。また、二人共使節に選ばれたとする説もある[3]

キケロは、セルウィウス・スルピキウス・ガルバガイウス・ラエリウス・サピエンスが雄弁家として名を馳せた時代において、マグヌスを「それなりの弁論家」と評している。またキケロは紀元前46年に『ブルトゥスあるいは弁論家列伝』を執筆しているが、その中で「スプリウス・アルビヌスの演説は沢山残っている」と記している[8]

子孫

[編集]

ティベリウス・センプロニウス・グラックス(グラックス兄)の仲間でありライバルであるされる、スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌスは[9][10]、マグヌスの息子と思われる[2]

脚注

[編集]
  1. ^ カピトリヌスのファスティ
  2. ^ a b Postumius, 1953, s. 915-916.
  3. ^ a b c d Postumius 47, 1953.
  4. ^ Broughton, 1951, p. 455.
  5. ^ Broughton, 1951 , p. 461.
  6. ^ Broughton, 1951, p. 467.
  7. ^ キケロ『アッティクスへの手紙』、XIII, 30, 3.
  8. ^ キケロ『ブルトゥスあるいは弁論家列伝』、XXV, 94
  9. ^ プルタルコス『対比列伝:グラックス兄弟』、8
  10. ^ Postumius 23, 1953

参考資料

[編集]

古代の資料

[編集]

研究書

[編集]
  • Broughton R. Magistrates of the Roman Republic. - New York, 1951. - Vol. I. - P. 600.
  • Münzer F. Postumius // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1953. - Bd. XXII, 1. - Kol. 891-893.
  • Münzer F. Postumius 23 // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1953. - Bd. XXII, 1. - Kol. 900-901.
  • Münzer F. Postumius 47 // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1953. - Bd. XXII, 1. - Kol. 929-930.

関連項目

[編集]
公職
先代
マニウス・マニリウス
ルキウス・マルキウス・ケンソリヌス
執政官
同僚:ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌス
紀元前148年
次代
プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アエミリアヌス I
ガイウス・リウィウス・ドルスス