スパーラト (水雷砲艦)
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このページ名「スパーラト (水雷砲艦)」は暫定的なものです。(2022年6月) |
スパーラト (SMS Spalato)はオーストリア=ハンガリー帝国海軍の艦艇。水雷砲艦[1]。公式にはTorpedo Ship[2]。
「ザーラ」と同型だが、機関出力は1370馬力で、速力は最大12.63ノット、平均12.34ノットであった[3]。
Stabilimento Tecnico Triestinoで建造[4]。1878年9月[4]。1879年8月30日進水[4]。1881年9月竣工[4]。9月10日に公試が開始され、最大速力12.5ノットを記録している[5]。その後前部の魚雷発射管の設置や機関の改修などが行われ、1883年11月23日に改めて公試が開始されたが[5]、1885年10月24日に事故で右舷のエンジンを損傷した[6]。1886年1月26日に最大速力12.63ノットを記録[5]。
1897年8月1日に「スパーラト」はスクリューフリゲート「Radetzky」とともに砲術学校に配され、その役割用に12cm砲と15cm砲が搭載された。1898年1月14日からその役務を開始し、Vergarollaで係留された。1901年にはボイラーが取り替えられ、12月24日の公試で発揮した速力は11.13ノットであった。[7]
状態の悪さから1914年3月14日に「Spalato」は退役した[8]。第一次世界大戦では1915年5月24日から戦争終結までプーラとVerudaで局地防備部隊と共にあった[5]。また、1915年に12cm砲4門と47㎜砲4門以外の砲は撤去された[8]。
戦後は1920年にイタリアに引き渡され、解体された[5]。
脚注
[編集]- ^ "The Torpedo Vessels of the Imperial and Royal Austro-Hungarian Navy, 1875 to 1918", p. 59
- ^ The Naval Policy of Austria-Hungary, 1867–1918, p. 53
- ^ Austro-Hungarian Destroyers in World War One, pp. 12, 14
- ^ a b c d Austro-Hungarian Destroyers in World War One, p. 14
- ^ a b c d e Austro-Hungarian Destroyers in World War One, p. 15
- ^ Bilzer, p. 21, 23.
- ^ Bilzer, p. 24.
- ^ a b Greger, p. 103.
参考文献
[編集]- Bilzer, Franz F. (1990). Die Torpedoschiffe und Zerstörer der k.u.k. Kriegsmarine 1867–1918. Graz: H. Weishaupt. ISBN 978-3-900310-66-0
- Greger, René (1976). Austro-Hungarian Warships of World War I. London: Ian Allan. ISBN 978-0-7110-0623-2
- Lawrence Sondhaus, The Naval Policy of Austria-Hungary, 1867–1918: Navalism, Industrial Development and the Politics of Dualism, Purdue University Press, 1999, ISBN 1-55753-192-7
- Zvonimir Freivogel, Austro-Hungarian Destroyers in World War One, Despot Infinitus, 2021, ISBN 978-953-366-051-6
- Wolf H. Bille, Fulvio Petronio, "The Torpedo Vessels of the Imperial and Royal Austro-Hungarian Navy, 1875 to 1918", Warship International Vol. 8, No. 1, International Naval Research Organization, 1971, pp. 53-81