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ストーン・ザ・クロウズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ストーン・ザ・クロウズ
Stone the Crows
ストーン・ザ・クロウズ(1970年)
基本情報
出身地 スコットランドの旗 スコットランド グラスゴー
ジャンル ブルースロック、プログレッシブ・ソウル[1]
活動期間 1969年 - 1973年
レーベル ポリドール
旧メンバー レスリー・ハーヴェイ
マギー・ベル
コリン・アレン
ジョン・マクギニス
ジェームス・デュワー
スティーヴ・トンプソン
ロニー・リーハイ
ジミー・マカロック

ストーン・ザ・クロウズStone the Crows)は、1969年末にグラスゴーで結成されたスコットランドブルースロック・バンド。マギー・ベルをリード・ヴォーカリストに擁して、1970年代前半まで活動した。

ギタリストで創設メンバーのレスリー・ハーヴェイがステージで感電死したことでも記憶されている。

略歴

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結成

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ストーン・ザ・クロウズが結成されたきっかけは、マギー・ベル(ヴォーカル)がアレックス・ハーヴェイ[注釈 1]から弟のレスリー・ハーヴェイ(ギター)を紹介されたことだった[2][3]。両者はハーヴェイのバンドだったキニング・パーク・ランブラーズ(The Kinning Park Ramblers)で一緒に演奏した後、ジェームス・デュワー(ベース、ヴォーカル)、ジョン・マクギニス(キーボード)、ヘンリー・ライト(ドラム)とパワー(Power)を結成して、グラスゴーを中心に活動した。

ハーヴェイはルルの代表曲「いつも心に太陽を (To Sir With Love)」(1967年)の共作者だったマーク・ロンドン[注釈 2]の目に留まった。ロンドンは自分がマネージメントしていたカートゥーン(Cartoone)がレッド・ツェッペリンのアメリカ・ツアーの前座を務めることになっていたので、ハーヴェイを参加させた。レッド・ツェッペリンのマネージャーだったピーター・グラントはカートゥーンに経済的関心を抱いていた[4]。ハーヴェイはアメリカから帰国すると、ロンドンとグラントをグラスゴーに招待してパワーのライヴを見せた。その結果、両者が共同でパワーをマネージメントすることになり、グラントは彼等をストーン・ザ・クロウズ[注釈 3]と改名した[5][6]

やがてライトが脱退して、ズート・マネージョン・メイオールと共演した経験を持つコリン・アレンが加入した。

オリジナル・ラインナップ

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  • マギー・ベル (Maggie Bell) - ヴォーカル
  • レスリー・ハーヴェイ (Leslie Harvey) - ギター
  • コリン・アレン (Colin Allen) - ドラム
  • ジェームス・デュワー (James Dewar) - ベース、ヴォーカル
  • ジョン・マクギニス (John McGinnis) - キーボード

最初の2作のアルバムはオリジナルのラインナップで録音され、ベルのボーカルはジャニス・ジョプリンに似ていると評された[7]。彼女はロッド・スチュワートのアルバム『エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー』(1971年)のセッション・ワークに招かれて、スチュワートと共にタイトル曲のリード・ヴォーカルを担当した[注釈 4][8]

セカンド・ラインナップとステージでのハーヴェイの事故死

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1971年、マクギニスとデュワーが脱退し、ロニー・リーハイとスティーヴ・トンプソンが加入した[2]

1972年5月、ウェールズ大学スウォンジー校で開催されたコンサートでトップ・ランク・スイートの観客が見守る中、ギタリストで共同創設者のハーヴェイがステージで感電死した。伝えられるところによると、機材につないでいるワイヤーが聴衆によって壊されて、ロード・クルーが破損箇所を修復した時にアース線が緩んでいる箇所を見落したという[9]。ハーヴェイはマイクに手を伸ばすと同時にギターの金属弦に触れ、電気の衝撃を受けて体が空中に飛ばされた。仰向けに倒れた彼の胸部にギターとマイクスタンドがXの字をなして乗ったままで[10]、彼を救おうとしたバンド仲間も感電してしまったので、誰かがギターを蹴り飛ばして[注釈 5][11]、ようやく医療関係者が救命措置を施せたとされる。彼は直ちに病院に搬送されたが、到着時に死亡が確認された。

彼等は5月27日にリンカンシャーでザ・グレート・ウェスタン・フェスティバルに出演する予定だったので、急遽元フリートウッド・マックピーター・グリーンを代役に迎えたが、彼は出演の2日前に離脱。イエススティーブ・ハウが自発的に援助を申し出て代役をこなした[12]

6月、ジミー・マカロックがリード・ギタリストの座に就いた[2]。メイン・ソングライターだったハーヴェイを失って、彼等は自分達の方向性を考え直さざるを得なくなった[13]

1973年6月、彼等は最終的に解散した[2]

解散後

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ベルは引き続いてグラントのマネージメントの下で活動して、ソロ・アルバム『クイーン・オブ・ザ・ナイト』(1974年)、『熟れた果実』(1975年)、彼がマネージメントするミッドナイト・フライヤーのアルバム『真夜中の罠』(1981年)をレコーディングした。

マカロックは1974年にテネシー州ナッシュビルで、ポール・マッカートニーウイングスに参加した。

アレンは1973年10月、オランダプログレッシブ・ロック・バンドのフォーカスに3代目ドラマーとして加入した。

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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  • 『デビュー』 - Stone the Crows (1970年、Polydor)
  • 『オード・トゥ・ジョン・ロー』 - Ode to John Law (1970年、Polydor) ※旧邦題『ジョン・ロウに捧げる歌』
  • 『ティーンエイジ・リックス』 - Teenage Licks (1971年、Polydor)
  • 『オンティニュアス・パフォーマンス』 - Ontinuous Performance (1972年、Polydor) ※旧邦題『ストーン・ザ・クロウズ』。全英33位[14]

ライブ・アルバム

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  • The BBC Sessions, Volume 1 – 1969–1970 (1998年、Strange Fruit)
  • The BBC Sessions, Volume 2 – 1970–1971 (1998年、Strange Fruit)
  • 『ライヴ・イン・モントルー 1972』 - Live Montreux 1972 (2002年、Akarma)
  • 『ラジオ・セッションズ 1969-1972』 - Radio Sessions 1969–1972 (2009年、Angel Air)
  • 『ライヴ・クロウズ 1972 / 73』 - Live Crows 1972/73 (2015年、Angel Air)

脚注

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注釈

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  1. ^ 1972年にセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドを結成してイギリスで人気を集めた。
  2. ^ ルルのマネージャーであるマリオン・マッシーと結婚していた。
  3. ^ イギリス/オーストラリア系英語で驚きやショックを表す感嘆詞にちなむ。
  4. ^ 『ボーカルの研磨剤』(vocal abrasives)とクレジットされた。
  5. ^ ドラマーのアレンは、自分がギターを蹴り飛ばしたがハーヴェイは殆ど即死したのだろう、と自伝に記している。

出典

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  1. ^ Kurtz, Peter. “Artist Biography”. AllMusic. 17 December 2021閲覧。
  2. ^ a b c d Colin Larkin, ed (1997). The Virgin Encyclopedia of Popular Music (Concise ed.). Virgin Books. pp. 1142/3. ISBN 1-85227-745-9 
  3. ^ Allen (2018), pp. 220–221.
  4. ^ Biography of Mark London”. Uncredited, Led Zeppelin: Achilles Last Stand (19 August 2009). 5 September 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。5 October 2023閲覧。
  5. ^ Welch, Chris (2002). Peter Grant: The Man Who Led Zeppelin. p. 23. ISBN 0-7119-9195-2 
  6. ^ Pingitore, Silvia (6 October 2021). “Maggie Bell of Stone the Crows and the 1970s blues-rock: interview with the UK's Janis Joplin” (英語). the-shortlisted.co.uk. 22 October 2021閲覧。
  7. ^ Logan, Nick &Woffinden, Bob (eds.) The New Musical Express Book of Rock, W.H. Allen &Co. Ltd (Star), 1973, p. 489-490. ISBN 0-352-39715-2.
  8. ^ Liner notes to Rod Stewart's album Every Picture Tells a Story, Mercury Records, catalog no. SRM-609, 1971.
  9. ^ “Clipped From The Record”. The Record: pp. 43. (21 May 1972). https://www.newspapers.com/clip/48264000/the-record/ 8 April 2018閲覧。 
  10. ^ Allen (2018), p. 241.
  11. ^ “Clipped From Daily Press”. Daily Press: pp. 25. (18 June 1972). https://www.newspapers.com/clip/48264414/daily-press/ 8 April 2020閲覧。 
  12. ^ Howe, Steve (2020). All My Yesterdays. London: Omnibus Press. p. 89. ISBN 978-1-785581-79-3 
  13. ^ Tobler, John (1992). NME Rock 'N' Roll Years (1st ed.). London: Reed International Books Ltd. pp. 238. CN 5585 
  14. ^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 534. ISBN 1-904994-10-5 

引用文献

[編集]
  • Allen, Colin (2018). From Bournemouth to Beverly Hills: "Tales of a Tub-Thumper". Independently published. ISBN 978-1731511355 

外部リンク

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