スティーブ・オリン
A級ウォータールー時代 (1988年) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | オレゴン州ポートランド |
生年月日 | 1965年10月4日 |
没年月日 | 1993年3月22日(27歳没) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 185 lb =約83.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1987年 ドラフト16巡目でクリーブランド・インディアンスから指名 |
初出場 | 1989年7月29日 |
最終出場 | 1992年10月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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スティーブン・ロバート・オリン(Steven Robert Olin, 1965年10月4日 - 1993年3月22日)は、アメリカ合衆国・オレゴン州ポートランド出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り前とインディアンス時代
[編集]ポートランド州立大学から、1987年のMLBドラフト16巡目(全体411位)でクリーブランド・インディアンスに指名され入団。2年目の1989年には早くもメジャー初昇格を果たし、この年は25試合に登板した。
その後も中継ぎ投手として登板を続け、1991年シーズンの途中からはクローザーに配置転換される。翌1992年は一年を通してクローザーとして起用され72試合に登板して8勝5敗29セーブ、防御率2.45の好成績を残し、将来を嘱望されていた。本人がアンダースローの投手であったことにちなみ、登場曲はビートルズのイエロー・サブマリンであった。
事故死
[編集]しかし、1993年のシーズン開幕直前の3月22日、スプリングトレーニング中に同僚のティム・クルーズ、ボブ・オヘーダとフロリダ州クリアモントの湖でボートを操縦していたところ、このボートが湖の桟橋に激突する水難事故に遭い死亡した。27歳没。同時に乗船していたクルーズも翌日に死去し、オヘーダは重傷を負ったものの一命を取り留めた。事故後の調査でオリンとオヘーダの体内からはアルコールが検出されたことが判明したが、数値は法で認められた基準の範囲内であった。また、湖はクルーズの私有地であり、当時操縦していたのもクルーズであることが調査で明らかになっているため、アルコールの件に関しては事故との関連はない。
その2年後の1995年、インディアンスは同年のアメリカンリーグ中地区を2位と30ゲーム差の100勝44敗という成績で制した。地区優勝が決まった際、球場ではオリンを偲び彼のお気に入りだったガース・ブルックスのザ・ダンスが流された。監督のマイク・ハーグローヴが試合前に予め球場のスコアボードの担当者に要請してのことだった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]背番号
[編集]- 50(1989年)
- 31(1990年 - 1992年)
脚注
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関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Crews, Olin families persevere so many years later MLB.com(2019年6月14日) - 事故から20年を機に公開されたMLB公式による遺族へのインタビュー
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube