スザンナ・アニェッリ
スザンナ・アニェッリ | |
---|---|
Susanna Agnelli | |
第37代 外務大臣 | |
任期 1995年1月17日 – 1996年5月17日 | |
首相 | ランベルト・ディーニ |
前任者 | アントニオ・マルティーノ |
後任者 | ランベルト・ディーニ |
第61代 モンテ・アルジェンターリオ市長 | |
任期 1974年 – 1984年 | |
前任者 | Ettore Zolesi |
後任者 | Florio Zolesi |
個人情報 | |
生誕 | 1922年4月24日 イタリア・トリノ |
死没 | 2009年5月15日(85歳没) イタリア・ローマ |
国籍 | イタリア |
政党 | イタリア共和党 |
配偶者 | Count Urbano Rattazzi Jr.(1945年 - 1975年) |
親戚 | ジョヴァンニ・アニェッリ(祖父) ジョン・エルカーン(甥) アンドレア・アニェッリ(甥) 詳細は「アニェッリ家」を参照 |
子供 | 6 |
親 | エドアルド・アニェッリ ヴィルジニア・ブルボン・デル・モンティ王女 |
親族 | クララ・アニェッリ(姉) ジャンニ・アニェッリ(兄) マリア・ソーレ・アニェッリ(妹) クリスティアーナ・アニェッリ(妹) ジョルジオ・アニェッリ(弟) ウンベルト・アニェッリ(弟) |
スザンナ・アニェッリ(Susanna Agnelli、1922年4月24日 - 2009年5月15日)は、アニェッリ家の著名なメンバーの一人であるトリノ出身のイタリアの政治家。長年モンテ・アルジェンターリオの市長を務め、ディー二政権下ではイタリア初の女性の外務大臣を務めた。また、市長在職中にイタリア元老院議員や欧州議会議員なども歴任した。
生い立ち
[編集]1922年4月24日、フィアット創業者のジョヴァンニ・アニェッリ・シニアの一人息子・エドアルド・アニェッリとカルロ・デル・モンテ(サン・ファウスティーノ王子)の娘ヴィルジニア・デル・モンテ王女の次女としてトリノで生まれる。
政治
[編集]1974年にイタリア共和国トスカーナ州グロッセート県にあるモンテ・アルジェンターリオの市長に選出、以来1984年まで同職を務め政治家としてのキャリアをスタートさせた。
1976年にイタリア共和党の要請を受けイタリア議会に初当選。1979年に欧州議会議員に就任し1981年まで務めた。1983年に再びイタリア議会へ戻り元老院の議員となった。
1995年1月、ランベルト・ディーニ内閣においてイタリア史上初の女性の外務大臣に就任すると翌1996年1月まで在任した。スザンナの次に女性で外務大臣となったのはそれから18年も先の2013年のエンマ・ボニーノの時でした。
家族
[編集]スザンナはイタリア最大の自動車メーカーであったフィアットの創業家アニェッリ家の出身で、彼女の兄・ジャンニ・アニェッリは早逝した父に代わり1996年まで長きに渡りフィアットのトップを務めた。アニェッリ家は同家の家族投資会社エクソールを通じてフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)やユヴェントスFC、CNHインダストリアル、フェラーリ、エコノミストなどを所有している。
夫ウルバーノ・ラタッツィ伯爵との間に生まれた娘の1人、サマリターナ・ラタッツィと作家ヴィットリオ・セルモンティとの間に生まれた息子ピエトロ・セルモンティは俳優[1]。
出典
[編集]- ^ “Biografia di Pietro Sermonti” (イタリア語). Cinquantamila.it. 2019年8月3日閲覧。