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スコット・アンダーソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スコット・アンダーソン
Scott Anderson
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オレゴン州コーバリス[1]
生年月日 (1962-08-01) 1962年8月1日(62歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1984年 MLBドラフト7巡目
初出場 MLB / 1987年4月8日
NPB / 1991年4月10日
最終出場 MLB / 1995年8月26日
NPB / 1992年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

スコット・リチャード・アンダーソン(Scott Richard Anderson', 1962年8月1日 - )は、アメリカ合衆国オレゴン州出身の元プロ野球選手投手)。1991年から1992年まで中日ドラゴンズに所属した。

来歴・人物

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1980年、高校生の時にMLBドラフト16巡目でオークランド・アスレチックスの指名を受けるも入団拒否し、オレゴン州立大学に進学。

1984年のMLBドラフト7巡目でテキサス・レンジャーズから指名を受け、契約。1987年メジャー初昇格し、8試合に登板。1990年モントリオール・エクスポズでメジャー再昇格し、4試合に登板する。

1991年、さらなるチャンスを求めて中日ドラゴンズに移籍し、来日。195cmの長身から投げ下ろすピッチングには威力があり、さらに時折打者を翻弄するかの如くサイドスローで投げ込んできた。先発ローテーションの一角に名を連ね、1年目には4完封勝利を挙げるなどしたが、走者を出すと途端に乱れるなど精神面の不安定さも指摘され、好調期が長く続かないことが多かった。この年は前年優勝の巨人戦に強く、9勝のうち半分の4勝を巨人戦で稼いだ。

在籍した2年間は共に年間9勝で、特に2年目(1992年)は外国人投手ワーストのタイ記録となる9連敗を含む、リーグワーストの14敗を喫する。そのオフに解雇され、帰国。

翌年アメリカ球界に復帰し、フロリダ・マーリンズに在籍。ミルウォーキー・ブルワーズを経て、1995年カンザスシティ・ロイヤルズで3度目のメジャー昇格を果たし、メジャー初勝利も挙げた。しかし、同年を最後に現役引退。

1994年8月から1995年4月にかけてMLB史上最長のストライキが実施された影響で、1995年のスプリングトレーニングにはオーナー側の命令で代替選手として参加。そのため、スト破りを行った報復措置としてメジャー昇格後も選手会への加入を認められなかった。

現在は故郷のオレゴン州に在住。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1987 TEX 8 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 59 11.1 17 0 8 2 1 6 2 0 12 12 9.53 2.21
1990 MON 4 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 71 18.0 12 1 5 0 0 16 0 0 6 6 3.00 0.94
1991 中日 23 17 6 4 1 9 7 0 -- .563 559 132.0 131 10 43 2 2 80 0 0 62 60 4.09 1.32
1992 31 22 1 0 0 9 14 0 -- .391 608 140.0 147 7 50 2 0 92 3 1 72 61 3.92 1.41
1995 KC 6 4 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 109 25.1 29 3 8 0 1 6 0 0 15 15 5.33 1.46
MLB:3年 18 7 0 0 0 1 2 0 -- .333 239 54.2 58 4 21 2 2 28 2 0 33 33 5.43 1.45
NPB:2年 54 39 7 4 1 18 21 0 -- .462 1167 272.0 278 17 93 4 2 172 3 1 134 121 4.00 1.36
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし

記録

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NPB
  • 初登板:1991年4月10日広島戦(ナゴヤ) 先発し6回2/3を4失点(勝敗無し)
  • 初完投・初勝利:1991年4月18日ヤクルト戦(神宮) 9回1失点
  • 初完封:1991年5月1日ヤクルト戦(ナゴヤ)

背番号

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  • 48 (1987年)
  • 52 (1990年)
  • 28 (1991年 - 1992年)
  • 37 (1995年)

脚注

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  1. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、26ページ

関連項目

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外部リンク

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