スコットランド大蔵卿代理
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スコットランド大蔵卿代理[1](スコットランドおおくらきょうだいり、英語: Treasury-depute of Scotland)は、スコットランド王国の官職。最初はスコットランド大蔵卿による任命だったが、1614年にスコットランド国王によって任命される正式な官職になった[2]。1707年に廃止された[1]。
概要
[編集]スコットランド大蔵卿の補佐官として設立された官職であり、最初は大蔵卿によって任命された[2]。しかし、1603年にスコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王に即位したことに伴い、スコットランド大蔵卿は度々イングランド宮廷に滞在することになり、本国スコットランドでの職務を大蔵卿代理に委ねるようになった[2]。これにより大蔵卿代理の重要性が上昇し、1614年には大蔵卿ではなく国王自ら任命する官職になった[2]。また、大蔵卿代理が大蔵の職務を代行するようになったため、収入役としての業務に手が回らなくなり、大蔵卿代理とは別に収入役が2、3人任命されるようになった[2]。さらに、スコットランド議会では一部の官職を有する人物が自動的に議席を得ていたが、この制度は1617年の立法により大蔵卿など8つの官職が議席を得ることが正式に規定され、大蔵卿代理もそのうちの1つと定められた[3]。
1686年以降、スコットランド大蔵卿には1人の人物が任命されず委員会制をとったが、大蔵卿代理は大蔵卿委員会の委員の1人になった[4]。
1707年にスコットランド王国とイングランド王国が合同してグレートブリテン王国が成立すると、スコットランド大蔵卿代理は廃止された[1]。
一覧
[編集]- 1582年 – 1596年:ロバート・メルヴィル[5]
- 1610年 – 1611年:フェントンバーンズ卿ジョン・プレストン[6]
- 1612年 – 1621年:エリバンク卿ギデオン・マレー(1621年没)[7]
- 1622年 – 1631年:アーチボルド・ネイピア(1627年、ネイピア卿に叙爵)[8]
- 1630年[9] – ?:初代トラクエアのステュアート卿ジョン・ステュアート
- 1636年 – 1649年:サー・ジェームズ・カーマイケル(1647年、カーマイケル卿に叙爵)[10]
- 1649年 – ?:サー・ダニエル・カーマイケル[10]
- 1661年 – 1671年:初代ベレンデン卿ウィリアム・ベレンデン(1671年没)[11]
- 1671年 – 1681年/1682年:ハルトーン卿チャールズ・メイトランド[12]
- 1681年[13] – 1684年:ジョン・ドラモンド
- 1684年[14] – 1686年[4]:初代キントア伯爵ジョン・キース
- 1687年 – 1689年:メイトランド子爵リチャード・メイトランド[4]
- 1692年 – 1696年:レイス卿アレクサンダー・メルヴィル[4]
- 1696年 – 1698年:ポルワース卿パトリック・ヒューム[4]
- 1699年 – 1702年:オルミストン卿アダム・コックバーン[15]
- 1702年 – 1704年、1705年 – 1708年:初代ケルバーンのボイル卿デイヴィッド・ボイル(1703年、グラスゴー伯爵に叙爵)[16]
出典
[編集]- ^ a b c 松園伸「憲法と近代イギリス議会政治(1) -主に18世紀スコットランドの視点から-」『早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第4分冊日本史学 東洋史学 西洋史学 考古学 文化人類学 日本語日本文化 アジア地域文化学』第60巻、早稲田大学大学院文学研究科、2015年2月、21-30頁、CRID 1050001202458820096、hdl:2065/45132、ISSN 1341-7541、2023年8月18日閲覧。
- ^ a b c d e Stevenson, David (March 1974). "The King's Scottish Revenues and the Covenanters, 1625-1651". The Historical Journal (英語). 17 (1): 17–41. JSTOR 2638331。
- ^ McCulloch, J. R. (1847). A Descriptive and Statistical Account of the British Empire (英語). Vol. 2 (3 ed.). London: Longman, Brown, Green, and Longmans. p. 206.
- ^ a b c d e Haydn, Joseph Timothy (1851). The Book of Dignities (英語). London: Longman, Brown, Green, and Longmans. p. 403.
- ^ Paton, Henry (1894). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 37. London: Smith, Elder & Co. pp. 245–246. . In
- ^ Henderson, Thomas Finlayson (1896). . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 46. London: Smith, Elder & Co. p. 307–308.
- ^ Henderson, Thomas Finlayson (1894). . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 39. London: Smith, Elder & Co. pp. 364–366.
- ^ Henderson, Thomas Finlayson (1894). . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 40. London: Smith, Elder & Co. pp. 35–37.
- ^ Henderson, Thomas Finlayson (1898). . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 54. London: Smith, Elder & Co. pp. 326–328.
- ^ a b Henderson, Thomas Finlayson (1887). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 9. London: Smith, Elder & Co. pp. 128–129.
- ^ Airy, Osmund (1885). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 4. London: Smith, Elder & Co. pp. 189–190.
- ^ Henderson, Thomas Finlayson (1893). . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 35. London: Smith, Elder & Co. pp. 350–351.
- ^ Alger, John Goldworth (1888). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 16. London: Smith, Elder & Co. pp. 35–37.
- ^ Henderson, Thomas Finlayson (1892). . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 30. London: Smith, Elder & Co. pp. 325–326.
- ^ Barker, George Fisher Barker (1887). Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 11. London: Smith, Elder & Co. p. 177. . In
- ^ "Glasgow, Earl of (S, 1703)". Cracroft's Peerage (英語). 30 August 2019. 2019年11月17日閲覧。