スグレ
Segré | |
---|---|
| |
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
県 (département) | メーヌ=エ=ロワール県 |
郡 (arrondissement) | スグレ郡 |
小郡 (canton) | スグレ小郡 |
INSEEコード | 49331 |
郵便番号 | 49500 |
市長(任期) |
ジル・グリモー (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Canton de Segré |
人口動態 | |
人口 |
6,593人 (2008年) |
人口密度 | 415人/km2 |
住民の呼称 | Segréenne, Segréen |
地理 | |
座標 | 北緯47度41分14秒 西経0度52分15秒 / 北緯47.6872222222度 西経0.870833333333度座標: 北緯47度41分14秒 西経0度52分15秒 / 北緯47.6872222222度 西経0.870833333333度 |
標高 |
平均:?m 最低:22m 最高:92 m |
面積 | 15.87km2 (1 587ha) |
公式サイト | Site de la ville de Segré |
スグレ (Segré)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、メーヌ=エ=ロワール県の旧コミューン。
地理
[編集]アンジェ=レンヌ間、ナント=ラヴァル間の各道路が交差する地点にあたる。
歴史
[編集]スグレとは、ラテン語で『孤立した』を意味するセクレトゥム(Secretum)に由来する。
10世紀、初代アンジュー公フールクが、2つの河川を見下ろす突端の上に城を築いた。封建時代のモットーは今も見ることができる。
11世紀、アンジュー公フールク3世(fr)時代に城壁を備えた石造りの城に建て替えられた。1066年にこの城はブルターニュ公コナン2世軍によって攻略されている。
1191年、時のアンジュー公にしてイングランド王リチャード獅子心王は、自らの王妃ベレンガリア・オブ・ナヴァールの所領とするため、ジョフロワ・ド・ラ・ゲルシュの持つスグレを没収した。
1490年、高アンジュー地方を荒らしまわっていたならず者たちによって、スグレの町全体が破壊された。
1589年、アンリ3世の名代としてアンジュー総督であったラ・ロシュポ伯爵は、かつてリーグ派のものだったスグレを攻略した。スグレを平定後、彼は城と城壁、全ての要塞化された邸宅を解体させた。
1635年、リシュリューは自らの家臣であるルーヴェヌ領主ギヨーム・ド・ボートリュに、スグレを男爵領として与えた。
フランス革命後の1795年、200人の共和国軍兵士たちが防衛するスグレに、2000人もの反乱軍が侵攻した。4時間の戦闘後、共和国側が降伏した。町は略奪され、身柄を拘束されていた33人の共和国派の人々が虐殺された。
19世紀から20世紀初頭、スグレの人口は増加傾向にあった。原因は、隣接コミューンの併合、鉄道網の拡張、鉄とスレート産業の拡大にあった。
1944年8月5日から6日、ドイツ軍は、侵攻するアメリカ軍に対して、スグレの町に火を放ち、60人の人質をとった。郡と司祭の仲介をとらなかったため、彼らは非難された。
少なくとも中世以来、スグレは鉄とスレートの採掘を産業としてきた。スグレ、ニオワゾー、ノワイヨン、コンブレは、高アンジュー地方における鉄およびスレート採掘の中心地だった[1]。シェール川とロワール川が近くにあったことで、これら河川は産業の拡大に貢献することとなった[2]。スグレの産業は大きな変化に直面している。この30年間、スグレにおいて、行政ニーズである経済、教育、保健、社会保険を満たすため、ビジネスや文化・スポーツ施設が開発された。
2016年12月15日、周辺コミューンと合併し、コミューン・ヌーヴェル(fr)であるスグレ=アン=アンジュー・ブルーとなった。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 |
---|---|---|---|---|---|---|
5 203 | 5 959 | 6 702 | 6 777 | 6 434 | 6 410 | 6 593 |
source = Cassini[3] et INSEE[4]
姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ D'ardoise en minerai de fer, le Haut-Anjou minier et ses cités, sur le site de l'association pour la promotion et la conservation du patrimoine minier et ardoisier du haut-Anjou.
- ^ La Loire – les peuples du fleuve, par Abel Poitrineau. pp. 63-86, La sarabande des frets. Éd. Horvath, Saint-Étienne, 1989. ISBN 2-7171-0639-1
- ^ http://cassini.ehess.fr/ Population par commune avant 1962 (résultats publiés au journal officiel ou conservés aux archives départementales)
- ^ INSEE : Population depuis le recensement de 1962