スウィートコーン (フォークデュオ)
スウィートコーン Sweet Corn | |
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別名 |
スイートコーン スイート・コーン |
出身地 | 日本 |
ジャンル | フォークソング |
活動期間 | 1980年 - 2000年代初頭 |
レーベル |
東芝EMI テイチク・コンチネンタル G.U.RECORD |
共同作業者 | 深野義和 |
公式サイト | Sweet Corn |
メンバー |
木村弘美(ボーカル&ギター) 蒲谷明子(ボーカル&ギター) |
旧メンバー | 親谷瑞穂(ボーカル&ギター) |
スウィートコーン(Sweet Corn)は、1980年代初頭から2000年代初頭に活動していた木村弘美と蒲谷明子の女性フォークデュオである。
オリジナル曲を二人のアコースティック・ギターの演奏で歌うスタイルを主とするが、木村がフラットマンドリンに持ち替えて歌う曲もある。オリジナル曲は二人の作詞・作曲を合わせて200曲以上(400曲以上だとの話も)あり[1]、深野義和ほかのアーチストから歌詞提供を受けて作曲をオリジナルで行った曲もある。基本、曲の制作者がリードボーカルを担当するが、例外もある。
メンバー
[編集]- 木村弘美(きむら ひろみ、1963年8月19日[2] - ) 血液型B型。東京都武蔵村山市出身。愛称『キム(Kim)』
- 蒲谷明子(かまたに あきこ、1963年7月19日[2] -) 血液型AB型。東京都武蔵村山市出身。愛称『カマ(Kama)』
来歴
[編集]木村と蒲谷は小学校(武蔵村山市立第六小学校)からの同級生である[3]。中学3年(武蔵村山市立第三中学校)のときにフォークソングクラブに入り、親谷瑞穂(現姓:漆原)を含む3人でグループを結成する。この頃から作詞・作曲を手掛け、最初に作った歌は『青春仲間』とのこと[4]。高校はそれぞれ別だったが音楽活動を続け、1979年、親谷の提案で下北沢音楽賞にオリジナル曲で応募し入賞(作品賞)する[2][4][5]。1980年にキングレコードからリリースのオムニバスLP『いっしょに歌って!第4集』の収録に加わり、2曲を歌っている[2][5][6]。このときにグループ名を『スイートコーン』にする。グループ名の由来は、木村の母の実家(群馬県沼田市)に合宿に行ったときに、トウモロコシ1個を3人でかじっているシーンを撮影した写真があり、それがCDショップ『五番街』の店長の目に留まったことによる[4][7][8]。
その後、親谷が脱退して二人組になる。三人組の時代は親谷がリーダ格であったが、二人組になってからは木村がその役を担う[4][9]。1981年、東芝銀座セブン フォーク&ロックコンテストで優勝を果たし、各地でライブ活動を続け、1984年6月30日に東芝EMIから『ひとりがたり』でデビューする[2][5]。グループのキャッチフレーズは、『スイート感覚のフォークデュオ』[2]、『Last sentimental and fantastic duo』[10]である。前者のほうは2人のメンバー紹介を含むユーモラスな口上があり[11]、デモテープの曲間トークに収録されているほかラジオ番組[12]でも披露される。ファンによって支援クラブが結成され、1983年10月から本人達とファンの手によって情報誌Caminito[13]が発行される(No.1〜No.10及びMINI Caminito)。有線放送でDJも手掛ける[14]。1984年8月から、ニッポン放送のオールナイトニッポン2部の谷山浩子のオールナイトニッポンのコーナー『ザ・ベストスリー(後に、ザ・トップスリーに改題)』で、ファンの組織票によるリクエストで[15][16]、デビューシングルA面『ひとりがたり』、そのB面『燃えないロケット[17]』、未リリースのオリジナル曲『花うらない』がたびたび入選し放送で流される。本人達は放送局を訪問して谷山浩子と挨拶するも同番組への出演は無い。1985年9月には日本放送協会のオーディションに合格し[5]、ラジオ番組に出演して[3][18]、ギターの生演奏で『花うらない』を歌唱している[3]。そのほか、参加アルバムでの歌唱やほかのアーチストの曲のバックコーラスを提供している。デビュー後もファンとの交流を大事にしており、ファンレターの返信は必ず書き、ライブ後の公園等での遊び(主はだるまさんがころんだ)や居酒屋での打ち上げ(飲食)は毎度のことで、初詣、花見やキャンプなども企画される。1986年、北海道放送HBCラジオのジングルに起用され、『Happy Endless HBC』のハーモニーが同年4月から翌年に流される。
1987年10月半ばから1989年11月頭位まで活動を休止し、この期間にレコード会社をテイチクエンタテインメントへ移籍する。同時にグループ名を『スイーツ』に変更するとの告知がされるも[19]、結局、カタカナ表記を『スウィートコーン』に変更するに留まる。1990年2月21日にシングルCD『ホワイト・ムーンライト』をリリース(再デビュー)し、この曲はファッションセンターしまむらのCM曲に起用される。続いてオリジナルアルバム『お元気ですか』、『SECOND WIND』をリリースする。当初『SECOND WIND』はカバー曲を含む企画であり、その何曲かの収録も終えていたが、本人達とファンの意向によって全曲オリジナル曲に変更される[20]。収録済みだったカバー曲は、うち2曲をプロモーション用(非売品)のシングルCDに収録し、『SECOND WIND』に同封されているアンケートはがきを返送してくれた方の中から抽選で500名にプレゼントする企画がなされる[21]。この頃、映画のタイトルで曲を作ることに取り組んでおり[22]、その成果がシングルCDのC/Wに収録されている『太陽がいっぱい』と、『SECOND WIND』に収録されている『ローマの休日』に見られる。また、『SECOND WIND』の1曲目に収録されている『初恋 -Remember You-』は、宮商事「ミヤきしめん」のCMに起用される。ほかのCM曲では、スカイホームの『セブンテーン・ララバイ』、アイワールドの『I LOVE THE WORLD』の歌唱を担当している。1992年、公益社団法人日本青年会議所の主催する「地球の応援歌」コンテスト[23] SONG FOR THE EARTH ‘92 に『- MOVEMENT FOR TOMORROW - もうそろそろ(明日への行動)[24]』で応募して750点の作品の中から金賞に入選し(グランプリではない)、同年10月18日の受賞発表会(東京新宿ルミネアクトホール)で披露される。
暫くのブランクの後、1998年から順次、G.U.RECORDからヒーリングCD(インスツルメンタル)のHARVESTシリーズを5枚(ベスト版を含む)、及びオリジナルアルバム『Memoir(メモワール) - The Folk Album -』をリリースする。このオリジナルアルバムは、元々ヒーリングCDの延長としてボーカル入りで制作する企画が、収録を進めていくうちに本格的なオリジナル・アルバムの制作に変わったものである[4]。また、同アルバムに収録されている『セカンドウィンド』は、エフエム宮崎で持っていたトーク番組『スウィートコーンのセカンドウィンド』のテーマ曲として作ったものである。また同曲は、愛知学院大学のテレビ番組のエンディングテーマにも使われる[4]。
ライブハウス、学園祭又はイベントなど、各所でのコンサート活動は、デビュー前から精力的に行ってきている[25]。東京地区での定期的なコンサートは、イエローページ(池袋; デビュー前)とマーキー(江古田)をホームグラウンドのように、大型の企画はSHIBUYA TAKE OFF 7(渋谷)、ルイード(新宿、原宿)などで開催される。また東芝銀座セブンでのミニコンサート(1部・2部制)は常連である。その中でも特筆すべきは、1983年3月21日のマーキーでの『ドア前コンサート[4][26]』と、1984年8月5日の富士山の本八合江戸屋前で行われた『Mt. Fujiサマーコンサート’84』の出演である[27][28]。東京地区でのコンサートは、結果として1993年10月24日のマーキーでの開催が最後になる。その後、前述のアルバムのリリースや、ラジオ番組に何度かの出演、本人達のホームページでブログ相当の日記を掲載していたが[29]、本人達が姿を見せることはなかった。本人達の状況をファンに公にすることもなく、活動をフェードアウトするに至っている。
ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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スイートコーン 名義 | |||||||
東芝EMI | |||||||
1 | 1984年6月30日 | A面 | ひとりがたり | 深田尚美 | スイートコーン | スイートコーン | EP:WTP-17628 |
B面 | 燃えないロケット | 嶋田富美子
補作詞:實川 翔 |
嶋田賢一
補作曲: スイートコーン | ||||
スウィートコーン 名義 | |||||||
テイチク・コンチネンタル | |||||||
2 | 1990年2月21日 | ホワイト・ムーンライト | 蒲谷明子 | 蒲谷明子 | スウィートコーン | CD:CARC-32
CT:10SV3-30 EP:T-0-2-2(見本品) | |
C/W | 太陽がいっぱい | ヤマトタケル | 木村弘美 | ||||
3 | 1991年11月1日 | サルビアの花 | 相沢靖子 | 早川義夫 | スウィートコーン | CDS-11003(非売品) | |
C/W | 秋でもないのに | 細野敦子 | 江波戸憲和 |
アルバム
[編集]# | 発売日 | タイトル | 収録曲 | 規格品番 |
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テイチク・コンチネンタル | ||||
1 | 1990年9月21日 | お元気ですか[30] |
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TECN-28031 |
2 | 1991年11月1日 | SECOND WIND |
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TECN-28112 |
G.U.RECORD | ||||
3 | 2000年12月24日 | Memoir(メモワール) -The Folk Album -[31] |
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GUCD-2001 |
# | 発売日 | タイトル | 収録曲 | 規格品番 |
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G.U.RECORD | ||||
1 | 1998年6月21日 | HARVEST - Dedicated to sweet corn - |
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GUCD-1003 |
2 | 1999年5月21日 | HARVESTII Akiko Kamatani |
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GUCD-1005 |
3 | 1999年11月11日 | HARVESTIII HIROMI KIMURA |
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GUCD-1006 |
4 | 2001年1月11日 | Original Mind Track Akiko Kamatani |
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GUCD-1008 |
5 | 2003年12月24日 | Harvest Home - Best of the Harvest series - |
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GUCD-1912 |
発売日 | タイトル | 担当曲 | 監修等 | 規格品番 | レーベル |
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1980年 | いっしょに歌って!第4集 | A5 旅 パートⅡ
B5 やすらぎは消えず |
(財)日本ユースホステル協会 | K20A-42 | キングレコード |
1985年11月30日 | 少年サンデー創刊 1500 号記念LP WINGS OF FREEDOM | A1 君にSAY HELLO[32] | 小学館 | LB28-5006 | 東芝EMI |
1986年7月25日 | 深野義和 8thシングル | A面 ハッピー・エンドレス(バックコーラスを担当) | HBC北海道放送15周年記念曲 | 7DX-1439 | ポリドールレコード |
その他
[編集]発行年 | タイトル | 収録曲 | 備考 |
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1985年 | スイート・コーン1985 |
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1990年 | ホワイト・ムーン・ライト/スイート・コーン | ホワイト・ムーン・ライト
(A面・B面とも) |
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SWEETCORN original casette |
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スウィートコーン・カセット | Aタイプ:
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Bタイプ:
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脚注
[編集]- ^ MUSIC GUIDE 1990年2月号 林哲司フリー&トーク
- ^ a b c d e f 『ひとりがたり』でデビュー時のチラシから
- ^ a b c NHKラジオ第1放送『サンデージョッキー』(1985年10月6日 13:00~)
- ^ a b c d e f g 北海道放送HBCラジオ『細坪基佳のネイチャー・オブ・ムーン』(2001年3月18日24:30~25:00)
- ^ a b c d 情報誌Caminito vol.10
- ^ ただし、当該レコードの発売日は1980年であり、出典の情報と相違がある。
- ^ FMぐんま『特別放送 スウィートコーン・スタジオライブ』(1990年9月29日20:30~20:55)
- ^ 情報誌Caminito vol.2に掲載のスイートコーンに10のQuestion & Answerから
- ^ 情報誌Caminito vol.2に掲載のスイートコーンに10のQuestion & Answerで、今まで2人でグループをつづけてきてつらかったことは?の問いに対して、木村は「今思えば何でもないけど3人から2人になった時」と心境を述べている。
- ^ 情報誌Caminitoの毎号表紙に掲載
- ^ 口上は、「メンバー 木村弘美 蒲谷明子 スイート感覚のフォークデュオ きっとあなたも やめられないとまらない スイートコーン」である。
- ^ RFラジオ日本1985年5月1日24:30放送(番組名不詳)
- ^ 情報誌Caminito vol.9によれば、Caminito(カミニート)とはスペイン語で『小径』という意味であり、これはスイートコーンとあなたが一緒に歩いて行ける一つの『径』ができたら…と思ってつけたとのこと。タイトルには、「恋人たちの小径 - あなたへ…」の副題が付く。
- ^ 大阪有線 8ch FMユア・ステーション(FYS)毎週金曜 午後7:00〜10:00 オール・リクエスト・タイム(東京23区、千葉、埼玉の一部で放送)
- ^ 情報誌Caminito vol.9
- ^ 詳細は、「ゆきの研究室」 谷山浩子のオールナイトニッポンですのよ! ザ・ベストスリー/ザ・トップスリー 一覧表 を参照のこと。『燃えないロケット』は「頑張れB面友の会」ほかのリクエスト主からの投票で初入賞を果たすも放送局にレコードが無く、ディレクターの森谷氏からレコードを送ってくれたら入賞しなくても掛けるという配慮が放送で伝えられた。その後レコードが送られ入賞も果たし同曲が放送で流された。また森谷氏から上手だとの前向きコメントがなされた。
- ^ タイトル中のロケットとは、ロケットペンダントのこと
- ^ NHKラジオ第1放送『歌の散歩道』(1985年10月22日12:30~)
- ^ ふるさと渋谷フェスティバル'89(1989年11月4日)で復帰後最初の屋外ライブ・コンサートがあり、その際に配布されたチラシから
- ^ 1991年5月19日の東芝銀座セブンでのミニコンサートで、オリジナル曲集とカバー曲集のどちらが良いかのアンケートが行われる。
- ^ オリジナルアルバム『SECOND WIND』に同梱のアンケートはがきから
- ^ 当時のコンサートでのトークから
- ^ 日本青年会議所70周年記念誌(明日への黎明)
- ^ 作詞:武田千寿子 作曲:木村弘美 歌:スウィートコーン
- ^ 初めてのライブを行ったのは、甚六屋(北千住; デビュー前)である。
- ^ 店長が日程を失念し墓参りに出掛けて開場出来ずも、出演者も観客も集まっていたのでやむなくドア前での上演になった。
- ^ 岳麓新聞1984年1月19日
- ^ 情報誌Caminito vol.6
- ^ スウィートコーン日記(UNGA! NO.075『スウィートコーン蒲谷明子の空飛うさぎ vol.1』からの転載に続き、初回2001年4月17日から最終回2003年5月14日まで全26回)。当時のURLは、http://gobangai.jp/sweetcorn/diary.htmlである。
- ^ ジャケット写真の撮影地は、河口湖である。
- ^ 歌詞カード中央見開きに掲載されている写真は、左側が1985年6月14日(渋谷LA・MAMA; HALFTY CONCERTにゲスト出演)のときのもの、右側が1991年11月4日(原宿ルイード)のときのものである。
- ^ 本アルバムの企画側がオープニングの本曲を歌う歌手を探しているときに、プロデューサー兼マネージャー氏に相談があり、『スイートコーンでどう?』と提案したところ大変喜ばれて即決されたとのこと